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我が永遠の領土、独島(中学生用)


深化学習:李承晩大統領の平和線の宣布[教え方の説明]

李承晩大統領は1952年に「国際的先例に基づき、国家の福祉と防御を永遠に保障しなければならない要求」に応え、海岸から50~100マイル離れた海上に線を引き、「隣接海岸の主権に対する大統領宣言」を発表した。
日本はこれを「李承晩ライン」と呼び、これを撤回しようと強力に要求した。李承晩大統領は韓日両国の平和のために設定したものとし、「平和線」と命名した。
平和線を越えて操業した容疑で韓国側の尋問を受けている日本の漁民
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日本政府が漁民に「李承晩ライン」を無視して操業しろと指示するや、韓国政府は「平和線」を越える日本の漁船に対し、軍艦まで動員して容赦なく拿捕した。その過程で日本の漁民一人が死亡したこともあった。1961年までに拿捕された日本の漁船は300隻を越え、抑留された日本人は4千人に達するほどであった。
平和線は韓国の漁業保護に対する切迫さを反映したものである。当時の韓国全体の漁船の総トン数は10万トンに過ぎず、それも無動力船が大部分であった。このような状況で、日本の漁夫が東海で思いのままに漁労活動ができるようにしていたら、韓国漁民に非常に深刻な打撃を与えていただろう。
主な内容のまとめ
1. 大韓帝国は1900年に勅令第41号を頒布し、石島(独島)が韓国の領土であることを明確にした。
2. 日本は1905年に、独島は主人のいない地(無主地)だとし、韓国の目を盗んで日本の領土に編入させた。しかし、独島は厳然とした韓国の領土であるため、これが違法行為であることは明白であった。
3. 連合国最高司令官は1946年に連合国最高司令官指令(SCAPIN)第677号を通して、鬱陵島、独島、済州島は日本の領土から除外するよう命じた。
4. 李承晩大統領は1952年に隣接海洋に対する主権を宣言した。これが平和線である。
 

 
教え方の説明
李承晩大統領の平和線宣布について詳しく記載した。順に読んでいけば、関連する内容が自然に理解できるよう構成した。
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