韓国側の記録 | 日本側の記録 |
1145年『三国史記』に最初の記録 「512年(新羅智証王13年)に異斯夫が于山国を服属」 | |
1454年『世宗実録』地理志 「于山と武陵の二島は、晴れていれば眺めることができる」 | |
1531年『新増東国輿地勝覧』 「于山と武陵」の二島についての記録 | |
1667年『隠州視聴合紀』に最初の記録 日本の国境外に鬱陵島と独島があることを最初に記録 | |
1693年(朝鮮粛宗19年) 日本の漁夫による安龍福拉致事件 | 1693~1696年鬱陵島争界に関する書類:『竹島紀事』 紛争解決の過程で日本幕府が鬱陵島と独島を朝鮮の領土だと認める |
1792年『増補東国文献備考』 「鬱陵島と于山は共に于山国の領土であり、于山は日本が言う松島」との記録あり | |
1877年太政官指令 「鬱陵島と独島は日本と関係ないと心得るべきこと」という最終決定の指令を内務省経由で島根県に送る |