• 慰安婦
  • 戦争と女性人権
研究者・活動家11人が集まって口述チームを構成し、「慰安婦」の被害女性12人に会って話を聞き、その声を活字に置き換えた記録物である。日本軍「慰安婦」証言集の第6集というタイトルがつけられた。1993年から発刊され始めた日本軍「慰安婦」証言集の6番目の刊行物で、シリーズの最後に当たる。証言集第5集まで一貫して中心をなしていた「強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」というタイトルを果敢に捨て、「歴史を創る物語」というタイトルを選んだ。
日本軍「慰安婦」問題の解決の歴史において、「慰安婦」生存者たちの口述は、日本軍「慰安婦」制度の歴史的な被害事実を立証する強力な「証拠」として定着してきた。この問題の責任の主体である日本政府の否定と回避、政治的な攻撃の中で、「慰安婦」被害者の「証言」は、「強制連行された…」を積極的に掲げるしかなかったのである。証言集発刊の歴史が約10年を過ぎた時点で、「強制連行された軍慰安婦」というのは韓国社会の集合記憶における「慰安婦」被害を想起させる規範と化しており、このような記憶に亀裂を起こす被害者のある種の私的な記憶は、被害者のためらいの中で適当な言葉が見出せない状況が生じたりもした。
この本が証言集シリーズの最後を飾るものだという事実は、その示唆する意味が大きい。この本に自らの経験を収めた「慰安婦」被害女性たちは、自らの「慰安婦」証言を行うまで10年余りの時間を持ち合わせ、先の約60人の証言をすべて聞いた後になって、ようやく自己の記憶を語ることができるようになった女性たちであるという事実を意味するためである。そこには、もちろん先に証言した「慰安婦」被害女性たちの勇気の蓄積と、「訊ねる」から「聞く」方向へと証言の採録方式を転換した「慰安婦」女性口述史の進展という社会的背景があった。
研究チームは「事実の厳密性が求められる非常に厳粛な証言とは異なり、私たちが口述を『物語』の水準にまで引き上げる理由は、それが持つ主観的な経験を強調したいがためだ」(13頁)と明かしている。政治的な争点として規定された「強制性」の問題から離れ、「実際の慰安所での性的暴力の経験とその当事者の記憶を中心に、日本軍『慰安婦』の概念を再構成しなければならないと主張」(14-15頁)するために、「証言」を超え「物語」として「慰安婦」被害女性の経験を聞くべきであるというのである。
研究チームはこの本で出会った12人の女性たちが、共通して日本軍「慰安婦」と呼ばれはするものの、これら女性のそれぞれの人生経験は具体的な慰安所生活だけではなく、それ以前とそれ以降、現在に至るまでそれぞれ大きく異なっており、過去の経験は現在の暮らしと互いにかみ合っているという事実を指摘している。「慰安婦」被害女性の談話を生年月日と故郷、兄弟や家族関係、動員されたときの状況、移動経路および交通手段、慰安所での生活、帰還過程、その後の生活などと類型化してはいるが、その内容を各自の色に染める多様で複雑な人生のひだというものに、読者の皆さまはぜひ耳を傾けてほしい。
したがって、読者はこの本に登場する12人の「慰安婦」被害女性、すなわちコン・ジョムヨプ、キム・ファジャ(仮名)、チョン・ソウン、カン・イルチュル、ソク・スンヒ(仮名)、イ・オクソン、イム・ジョンジャ(仮名)、ノ・チョンジャ、チャン・ジョムドル、キム・ボンイ(仮名)、キム・スンアク、キル・ウォンオクの物語を読み進める前に、ぜひとも研究チームが作成した総論にじっくりと目を通していただきたい。総論にて、「証言」ではなく「物語」として読んだ時に読者と口述者、面接者はどの地点で出会えるのか、「物語」として読むために小題目と表題、引用符・読点などの符号、括弧内の内容、面接者の参加後記はどのように見つめるべきか、詳しく記録しておいた。安易な「強制性」論争を乗り越え、日本軍「慰安婦」被害女性の声を生き残りをかけた中身の濃い物語として活字化し、読者と共有するために、研究チームが悩みに悩んだ形跡として見ることができるだろう。総論を読み終えた後は、12人の中の誰の話を先に読んでもかまわない。
最後に、この本は〈インタビュー失敗の記録〉も一緒に載せているが、それは怖れとためらいの中で依然として適当な言葉を見つけられない日本軍「慰安婦」被害女性の現在の話である。それらをも一読して、性暴力の被害者に対する私たちの共感指数がどの程度なのかを判断していただきたい。「本書が、6番目に繰り返される話ではなく、6番目に認識と省察の地平を大きく拡大する話になることを願っている」という研究チームの願いは、発刊後約10年が過ぎ去った現在の時点でも、依然として有効なようである。

 
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