Title | 安岳3号墳の壁画 |
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Language | English |
ReplayTime | 10m 26s |
“時代を写した絵―安岳3号墳壁画”
北朝鮮の黄海南道安岳郡に位置する安岳3号墳は、故国原王の時代である357年に作られた。
玄武岩と石灰岩の大きな板石で作られた石室封土壁画古墳で、調査当時の古墳は、南北の長さ33m、東西の長さ30mの方台形墳で、地表から古墳の頂上部までの高さは約6mほどであったが、現在はそれよりも大きな規模に復元されている。
古墳の内部は、羨道、前室、左右の脇室、玄室、そして玄室を「ㄱ」字形に巡る回廊で構成されている。羨道と前室、そして回廊は通路で連結された独立空間ではなく、柱とその間の壁で構成されており、全体平面はまるで二つの空間のように見える。
天井と各部屋の壁面は人物と風俗を主題とする様々な壁画で覆われているが、細密に描かれた墓の主人公夫妻の姿と雄壯で生き生きと表現された行列図が断然際立っている。
その他にも精米所、井戸、台所、肉屋、車庫、牛舎、厩などの壁画は4世紀半ばの高句麗人の生活の姿を生き生きと見せてくれる。
墳墓の羨道の東西両側の壁には儀仗隊列が描かれている。このように墳墓入口の羨道に儀仗隊を描いたものは安岳3号墳だけに見られる特徴である。
前室の南壁の東西両壁には華蓋、各種の旗、節、斧を持った儀仗隊の人物たちが、礼を整えるように腰を少し屈めながら入口を向いており、角笛や太鼓などを奏でる楽隊も全て入口を向いている。
儀仗隊列の左側下段には斧鉞手の絵がある。斧を持ち、長いチョゴリ(上衣)にズボンをはいており、腰には帯を締めている。
羨道と繋がった前室は横に長い長方形で、天井は平行三角支えである。この前室の東、西の両側に脇室がある。
西側脇室の入口の両側の壁には王の護衛武官である帳下督が互いに向かい合った姿勢で描かれている。前の部分が突き出ている「チェク」という被り物を被ったこの帳下督の上に墨書がある。
左側(南側)の帳下督の上にある墨書は比較的鮮明に残っているものの、右側(北側)の帳下督の上にある墨書は一部の痕跡が残っているだけで詳しい内容は確認できない。
左側の帳下督の墨書には、永和13年に、官職にあった「トンス」という人物が69歳の年齢で死亡した事実が記録されている。
安岳3号墳の主人公について学界では、故国原王と見る立場とトンスと見る立場があるが、これについてはもう少し具体的で緻密な論議が必要である。
西側の脇室は南北方向に長い長方形をしている。
墓の主人公の肖像は西側脇室の正面の壁に描かれている。平床の上に正座した姿の主人公は黒い内冠の上に白い外冠を被っているが、これはきめの細かい錦の一種である「羅」を用いて作った冠である。
墓の主人公が赤い色の華麗な錦を纏い、左右に官吏らを従えながら政事を司る姿が、非常に細密に描写されている。
主人公の夫人の肖像は主人公のすぐ横の南側の壁面に描かれている。主人公の方に体を軽く向けて座り、豊満な顔に軽く微笑をたたえた表情で描かれた夫人は、華麗な髪飾りに花模様の錦の服を纏った姿で侍女たちにかしずかれている。
東壁にある入口の左側には門衛が一人、両手を恭しく重ねたまま入口に向いて立っている姿も見える。
壁のすぐ上の梁は華やかな雲の模様で装飾されており、三角支え天井の中央には赤い蓮の花が咲いている。
西側の脇室を出て向かい側にある東側の脇室の入口右側の壁には、高句麗の大衆の間に広く流行していた拳法である手搏戯の場面と、斧を持った斧鉞手の隊列が、上下二つの段に分けて描かれている。
東側の脇室も南北方向に長い長方形になっていて、西側脇室よりも若干小さい。
東側脇室の内部の壁面は、高句麗の住居文化を窺い知ることのできる多彩な壁画で飾られている。穀物を手入れして料理する姿から精巧に表現された車や家畜の絵などまで、墓の主人公が実際に住んでいた家であるかのように非常に写実的である。
先ず、西壁の右側には踏み臼の由来が推測できる精米所が描かれているが、臼を搗いている女人と箕で穀物をふるっている女人の姿が興味深い。
右側に回って北壁には、てこの原理を利用したヨンドゥレ(水田に水を汲み上げる農具)井戸が描かれており、井戸の周辺には様々な形の水瓶や飼い葉桶を見ることができる。
東壁の台所には下女と見られる女性が大きな蒸籠の前で料理を作っている。器の大きさからいかに多くの家族が一緒に住んでいたかを推測することができる。かまどの前ではもう一人の下女が熱心に種火を見ており、傍では一人の女がお膳の上の皿などを整えている。
台所の横には肉屋と車庫がある。 肉屋にはノロ、豚などの獣がフックに吊るされており、車を保管する車庫には二台の車が置かれているが、この車は牛が引く車で、『薬水里壁画墳墓の行列図』でもその姿を見ることができる。
南壁に描かれた牛舎には黒牛、黄牛、斑牛などの三頭の牛がいるが、角が全て赤く、鼻輪を付けている。
西壁の左側には厩が描かれているが、馬の毛色がそれぞれ違い、馬のたてがみの一すじ一すじまで描写するほど細密な表現が際立っている。
住居空間をこれほど詳細に真心を込めて描写しているのは、生前の豊かな生活が来世にも再現されることを 願う切実な気持ちが込められている。
前室と玄室の間には4本の柱が立てられて区画分けされている。
4本の柱で前室と仕切られた玄室の東壁には、3人の楽隊とその横で足を組みながら踊っている西域系の舞姫の姿が見え、当時の高句麗の活発な対外文化交流を窺い知ることができる。
玄室は方形平面で、天井は前室と同様に、3段の平行支えの上に2段の三角支えを付けた平行三角支え構造である。
回廊は玄室の東壁から北壁まで「ㄱ」字形で取り巻いている。この回廊の南側の壁面には高床式建物が描かれており、東側の壁面には約250人に達する人々で構成された「行列図」が描かれている
牛が引く車に乗った主人公を中心に、前方には楽隊が歌と演奏、舞いを舞い、さらに車の後方には儀仗旗手、侍女、馬に乗った文官などが従っている。こうした雄壮な行列は、当時の墓の主人公の地位が非常に高かったことを物語っている。
壁画から窺えるように、高句麗は幅広い対外関係を基盤に東西の色々な文化を受容し、その後自分たちならではの固有な文化へと昇華させながら発展していった。
安岳3号墳壁画を通じ、4世紀中盤の高句麗の絵画や書芸文化の発展、さらには様々な生活の姿や政治史的な一面などを窺い知ることができる。
このような安岳3号墳は、高句麗文化史の研究において非常に特別な位置を占めていると評価される。
壁画によって伝えられる高句麗人の様々な風俗を窺えるという点で、安岳3号墳は、高句麗人の生が写された偉大な芸術作品であると同時に、高句麗の生活像の研究を可能にする、我が民族の貴重な文化遺産として位置づけられている。