探究学習1
独島が韓国の領土であるという根拠は、6世紀にさかのぼる。三国時代以前に鬱陵島と独島は于山国と呼ばれる小規模な王国であった。
于山国は平地が少なくて山が多く、ほとんどの人が畑農業をしたり、漁業をしながら生活していた。陸地に住んでいる人々より文化水準は低かったが、新羅の人々との往来が頻繁にあった。512年に新羅の異斯夫将軍が于山国を征服して以来、新羅の支配を受けることになった。
『三国史記』に記録された鬱陵島と独島
于山国は東の海にある島で、鬱陵島とも言われ、四方十里の地である。512年(新羅智証王13年)、于山国の人々が険しい地形を盾に服従せずにいたところ、何瑟羅(ハスルラ)州の軍主になった伊飡異斯夫が「于山国の人々は愚かで気性が荒く、威厳で服従させるのは難しいが、智恵を使えば服従させられるはずだ」と言った。そして、木で偽物の獅子をたくさん作って船に分けて載せ、于山国の海岸に達した時、「もしお前たちが服従しなければ、この猛獣たちを放って踏まれ死にさせるぞ」と言うや、于山国の人々は怖がってすぐに降伏した。
『高麗史』に記録された鬱陵島と独島
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- 資料1
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顕宗9年(1018年)11月、豆満江下流の東北地方(今の沿海州と北間道)に暮らしていた女真族が于山国を侵略し、略奪行為をして農業が荒廃化した。このため、朝廷は李元亀を派遣し、農機具や食糧、種子を賜与した。
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- 資料2
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毅宗11年(1157年)に王が東海の中に羽陵島という島があり、面積が広く土地が肥えていて、以前、州県があった所で人が暮らせるという話を聞き、金柔立を送って調べさせた。
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- 探究学習1
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1.資料1を読んで、高麗の朝廷で于山国の住民に農機具や食糧などを送った理由について話してみよう。
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2.資料2を読んで、高麗朝廷から鬱陵島に官吏を派遣したということが何を意味するのか話してみよう。