年度(時代) | 内容 |
512年(新羅智証王13年) | 異斯夫が于山国を服属。 |
1018年(高麗顕宗9年) | 女真族の侵略で于山国が荒廃化すると、高麗の朝廷から農機具を賜与。 |
1407年(朝鮮太宗7年) | 武陵島の居住民に陸地に出てくるよう命令。 |
1454年(朝鮮端宗2年) | 『世宗実録』地理志に于山と武陵の二島は晴れていると眺めることができると記録。 |
1531年(朝鮮中宗26年) | 『新増東国輿地勝覧』に于山と武陵の二島について記録されている。 |
1693年(朝鮮粛宗19年) | 慶尚道と全羅道の漁夫たちが鬱陵島に行き、安龍福と朴於屯が日本人の漁夫たちに拉致される。これをきっかけに朝鮮と日本の間に鬱陵島紛争が始まる。 |
1696年(朝鮮粛宗22年) | 安龍福が鬱陵島で日本人と会い、鬱陵島と共に松島(子山島)は朝鮮の領土だということを明らかにし、逃げる日本人を追って日本へ渡る。 |
1697年(朝鮮粛宗23年) | 日本幕府は鬱陵島が朝鮮の領土であるという事実を認め、日本人の往来を禁止する。朝鮮政府は定期的に鬱陵島の巡察を決定 |