여진(女眞)의 말 교역에 관한 조서(詔書)
詔, “在先朝時, 女眞常至登州賣馬. 後聞女眞馬行道徑已屬高麗隔絕, 歲久不至. 今朝廷與高麗遣使往還, 可降詔國王諭旨, 女眞如願以馬與中國爲市, 宜許假道.” 後女眞卒不至.
‖ 참고 ‖
· 『宋會要輯稿』 兵 22-10
(元豐)五年正月二十六日,詔:「在先朝時,女眞常至登州賣馬. 後聞女眞馬行道徑已屬高麗隔絕,歲久不至. 今朝廷與高麗遣使往還,可降詔與國主,諭旨女眞,如願以馬與中國為市,宜許假道.」
(元豐)五年正月二十六日,詔:「在先朝時,女眞常至登州賣馬. 後聞女眞馬行道徑已屬高麗隔絕,歲久不至. 今朝廷與高麗遣使往還,可降詔與國主,諭旨女眞,如願以馬與中國為市,宜許假道.」
색인어
- 지명
- 登州