왜적의 항표(降表)도 믿을 수 없으므로 조선의 위박한 사정을 통찰하여 속히 구제를 요청하는 조선국왕의 자문(咨文)
1. 緊急倭情咨
朝鮮國王,
爲 緊急倭情 事.
先該, 正月二十九日, 當職, 將近日邊報, 專差陪臣李廷馨, 星馳告急去訖. 續該, 正月三十日, 諸道都巡察使權慄, 工曹判書金命元, 副緫府劉伺候陪臣金瓚, 戶曹參議鄭光績等, 一同馳啓.
本月初七日, 有沈參將家丁, 帶倭賊六名, 回自賊中. 翌日, 緫兵招問, 有甚麽說話. 倭賊荅稱, 軍粮裝載舩四十餘隻, 漂風到泊全羅道地方, 擬要進去, 那裏尋了. 総兵却謂, 前日行長, 因此, 有書来到我, 於全羅慶尙沿海各地方, 知委訪問, 皆無是事. 你們船隻, 果若漂到, 則我當討還, 今實無有, 不知向何處討來, 行長前書稱, 十五隻, 再書稱, 十六隻, 今又却稱四十隻, 你言變遷不的, 天朝旣許封貢, 此小事, 不要来争, 我擬差遣官役數百貟名, 去向全羅地方討来. 倭賊答稱, 老爺若欲差人去尋, 我們當跟同走看. 緫兵却謂, 全羅之人, 見你們行走, 則雖有舩隻, 必深蔵矣. 倭賊, 唯唯. 緫兵又問, 你國謝恩表文, 何時來到. 倭賊答稱, 關白歸國都, 道路差遠, 計於本月念後來到. 総兵將前項倭賊, 擬於初九日回送本處. 仍念, 通事柳依檳傳說, 全羅道防守, 不可不及時申飭, 行長初稱漂舩十五隻, 再稱十六隻, 今復稱四十隻, 託言差人尋討, 其實欲詳知全羅形勢去處, 以肆其兇計. 你國操練兵馬, 儲備粮餉, 且將所有米穀輸峙城池險固處, 所毋貽後悔. 等因.
據此.주 002 具啓. 得此. 當職爲照, 伊賊兇狡不測, 上年沈參將, 纔離釜山, 賊鋒旋陷晉州, 大肆屠戮, 其假和緩備, 而隂逞兇逆, 乃其常態也. 目今, 沈參將, 又入賊中, 假令討得降表而來, 其不足取以爲信明矣. 當職常恐降表纔到, 賊又乗我不虞, 卷衆順搶, 即據各陪臣馳報, 伊賊狺然呑噬之狀, 灼然已著. 一朝長驅北上, 則留守川兵五千, 亦難攔截賭勝, 小邦何靠而得免於糜爛耶 煩乞貴部貴院貴院貴司, 洞察危迫事情, 據實題奏, 遼東則轉呈, 速圖救濟. 爲此, 合行移咨, 請照驗施行. 須至咨者.
萬曆二十二年二月初一日.