헌률(賢栗) 등이 종족을 이끌고 월수 태수 정홍(鄭鴻)에서 항복함
建武二十三年, 其王賢栗遣兵乘箄船, 南下江·漢, 擊附塞夷鹿茤. 鹿茤人弱, 爲所禽獲. 於是震雷疾雨, 南風飄起, 水爲逆流, 飜涌二百餘里, 箄船沈沒, 哀牢之衆, 溺死數千人. 賢栗復遣其六王將萬人以攻鹿茤, 鹿茤王與戰, 殺其六王. 哀牢耆老共埋六王, 夜虎復出其尸而食之, 餘衆驚怖引去. 賢栗惶恐, 謂其耆老曰: 「我曹入邊塞, 自古有之, 今攻鹿茤, 輒被天誅, 中國其有聖帝乎? 天祐助之, 何其明也!」 二十七年, 賢栗等遂率種人戶二千七百七十, 口萬七千六百五十九, 詣越雟太守鄭鴻降, 求內屬. 光武封賢栗等爲君長. 自是歲來朝貢.
색인어
- 이름
- 賢栗, 賢栗, 賢栗, 賢栗, 鄭鴻, 光武, 賢栗