금의 남송 공격
正月二日午間, 西風, 虜兵乘之叩, 墮田間, 或墜水. 勢當追而鏖敗之, 而俊亟令收兵. 要之, 得失略相當, 僅能却之而巳. 且張皇奏愷, 而策勳其後. 肆眚文云, “鄭水勦絶其大半.”蓋謂是也. 其夜, 虜兵拔寨西去. 俊遣人候伺, 知虜人駐餘姚治攻具, 請於臨安之大酋, 益兵將復來. 俊託以上旨, 召扈從, 八日盡起其衆, 入台, 行甚速, 而李質亦以班直継行. 思正千餘徒屯江東. 而質·思正·洪道猶過, 從夜飮城中. 居民出者, 已十七八. 有士人率衆叩洪道馬首, 願留以禦賊. 洪道紿曰, “予當數尅敵而勝, 若等事無慮.”復下令民遷城外者, 得取其家之什物儲峙. 於是舟入城者數千隻. 洪道擇其大者, 留使官屬取公使高麗兩庫金銀器皿轢壓之, 而實於簏, 輿帑藏儲糧, 載之海舶. 而洪道所將精卒僅千人, 橫肆乘亂剽掠, 州人怨之.
색인어
- 이름
- 李質, 思正, 洪道, 洪道, 洪道, 洪道
- 지명
- 臨安, 江東