지추밀원(知樞密院) 안도(安燾)의 파면 등을 주장하는 손각(孫覺)의 상언
右諫議大夫孫覺言, “臣竊聞有旨安燾除知樞密院, 權給事中王巖叟封還不下. 臣以爲安燾材識未有過人者, 臣嘗論執政數人, 皆當罷黜, 燾其一也. 臣以言韓縝未效, 未敢論列, 今陛下乃以燾知樞密院, 則是燾已遷矣, 臣安得晏然而已乎!若燾之材能, 不爲士大夫所稱, 徒以舉進士名在第三, 因緣以至館職. 先朝逐去言事臣僚過多, 無人可用, 故燾得備位于朝. 已而遣使高麗, 以燾爲使者, 不以海道爲辭, 亦人臣之常事耳. 遂稍擢至戶部尙書·同知樞密院事, 燾之才品, 中人以下. 臣竊以皇帝陛下·太皇太后陛下進退大臣, 以新庶政, 若燾, 在所先罷者也. 不謂陛下因惇之罷, 拔范純仁在密院, 純仁立朝本末, 習知邊事, 非燾之比也. 朝議以爲陛下於安燾未忍即有所去, 則亦以爲同知院事, 令與純仁同列而處其上可也, 何遽遷之乎. 臣以爲巖叟封還, 稍爲舉職, 伏乞特留聖念.”
색인어
- 이름
- 孫覺, 安燾, 王巖叟, 安燾, 韓縝, 范純仁, 安燾, 純仁, 巖叟
- 지명
- 高麗