冠石[猶]存, 公孫創基於延里.
魏志曰: “公孫度, 遼東襄平人. 董卓時爲遼東太守. 初平中, 襄平延里社生大石, 長丈餘, 下有三小石爲之足. 或謂度曰: ‘此漢宣帝冠石之祥, 明當[有]주 002土地주 003.’ 乃分遼東郡爲遼西·中遼郡, 置太守, 越海收주 004東萊주 005諸縣, 置營주 006州刺史, 自立爲遼東侯·平州牧. 立漢二祖廟, 承制設壇墠주 007於襄平城南, 郊祀天地. 太祖表度爲武주 008威將軍, [封]주 009永寧鄉侯, 度曰: ‘我王주 010遼東, 何永寧也.’ 度死至孫淵주 011, 以景初元年, 自立爲燕王, 置百官. 二年, 遣司馬宣王征[淵]주 012, 累破, 遂進軍주 013, 造城下爲圍주 014塹, 起土山修橹주 015, 爲發石連弩주 016射城中. 淵窘急주 017, 糧盡주 018[人]주 019相食, 死者甚多. 淵遂突圍주 020東南走, 急擊之, 斬其父子, 遼東悉平也.”
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