인종(仁宗) 때부터 먼 곳의 경략(經略)에 적극적이지 않아 조공사절도 거의 오지 않자 서역과 통교하기 위해 합리 추장에게 효유하여 이른 글
宣德二年, 其頭目打剌罕亦不剌
주 001來朝, 貢馬. 自仁宗不勤遠略, 宣宗承之, 久不遣使絶域, 故其貢使亦稀至. 七年復命中官李貴通西域, 勅諭哈烈
주 015酋沙哈魯
주 002曰: 「昔朕皇祖太宗文皇帝臨御之日, 爾等尊事朝廷, 遣使貢獻, 始終如一. 今朕恭膺天命, 卽皇帝位, 主宰萬方, 紀元宣德. 小大政務, 悉體皇祖奉天恤民, 一視同仁之心. 前遣使臣齎書幣往賜, 道阻而回. 今已開通, 特命內臣往諭朕주 016意. 其益順天心, 永篤誠好, 相與還往, 同爲一家, 俾商旅通行, 各遂所願, 不亦美乎?」 因賜以文綺·羅錦. 貴等未至, 其貢使法虎兒丁
주 003已抵京師, 卒於館. 命官致祭, 有司營葬. 尋復遣使隨貴貢駝馬·玉石. 明年春, 使者歸. 復命貴護送, 賜其王及頭目綵幣. 是年秋及正統三年幷來貢.
색인어
- 이름
- 打剌罕亦不剌, 仁宗, 宣宗, 李貴, 沙哈魯, 太宗文皇帝, 貴, 法虎兒丁, 貴, 貴
- 지명
- 西域, 哈烈