• 高句麗と渤海
  • 徳興里壁画古墳
徳興里壁画古墳
Title徳興里壁画古墳

徳興里壁画古墳は、平安南道南浦市江西区域徳興洞(旧地名は、平安南道大安市徳興里)にある高句麗時代初期の壁画古墳である。この壁画古墳は、墓室の中から発見された墨書銘により、被葬者が幽州刺史を務めた「鎭」某という人物であり、造成された年代は永楽18年すなわち408年であることが明らかになり注目を集めた。
墓の形態は、成形された石材で半地下式に墓室を築造し、その上に土を盛り上げて封墳を造成した封土石室墳と呼ばれるものである。古墳のある徳興洞は平壌市から20kmほど離れており、舞鶴山の西側にある玉女峰南端の丘陵の頂上部に位置している。江西大墓とは平原を隔てて1.8kmほど離れている。
石室の構造は2室墓(部屋が2つある墓)となっていて、羨道、前室、間道、そして棺台が置かれた玄室で構成されている。羨道とは墓の前室と外部を結ぶ通路のことで、東西の壁に壁画が描かれている。羨道と前室の間には敷居が設けられている。前室の平面は東西に長い長方形で、東西の長さは2.51m、南北2m、高さ2.85mとなっている。墓室の壁面は、天井に接する部分が内側にゆるやかに弧を描くような形となっている。これは天井に置かれた石材の重さと封墳による土圧に耐えるために、建築学的見地から特別に考案された方式である。前室の天井は穹窿形(西洋のドームのような丸い形の天井)に築造していき、最後に壁面から2段に平行に持ち送り、その上に正四角形の石材で天井を覆った。前室の床には、長さ1m、幅0.5m、高さ17cmの長方形の石床が北西の壁際の隅に接するように設置されている。石床が置かれた北壁面には墓主の肖像画が描かれているため、この石床は供物を置く祭壇として使用されたものと思われる。
玄室の平面は正方形で、一辺の長さは3.28m、高さは2.9mである。壁面は前室と同じく内曲(内側に傾いた形)した形で、天井は穹窿形と平行持送式の築造方式を結合した形を示している。平行持送は前室よりも多い5段に組み上げられており、最後に正方形の頂石で天井をふさいだ。墓室の床には北寄りに棺台が置かれている。棺台の大きさは、長さ2.5m、幅2m、高さ21cmである。
前室と玄室の間には低くて狭い間道が設けられている。その両壁には壁画が描かれており、前室につながる入口には扉のあった跡が残っている。
壁画は、墓室の全面に三和土(泥、石灰、砂を水と混合して作った建材)と藁を混ぜた混合物を塗り、その上にもう一度漆喰を塗った後に製作された。壁画の製作技法を見ると、まず初めに赤い色で元絵となる線を引き、彩色を加えた後、最後に黒の墨線で輪郭を描き入れて完成させた。壁画の内容は大別して、壁面に描かれた現実世界と天井部分に描かれた天上世界に区分される。現実世界に関連する素材は、墓主肖像、墓主政事図、出行、狩猟、七宝行事(仏教の行事の一つ)など墓主の生前の生活風俗を描いたものであり、天上世界に関連する素材は、牽牛と織女、仙人、瑞獣(想像上の動物で吉祥を象徴)、日月星辰(太陽と月と星座)などの神仙世界を象徴する要素で構成されている。
徳興里古墳に登場する豊富な壁画内容と約600字にのぼる墨書銘は、高句麗に関する文献史料が不足している現状において、高句麗人の文化や思想を具体的に知らしめる貴重な資料となっている。