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まだ終わっていない物語

日本軍「慰安婦」問題が勃発してから約70年、韓国社会に本格的に提起されてからは約10年が過ぎた。その間、日本軍「慰安婦」の生存者たちは罪人のように息をひそめて暮らしてきたが、被害者として姿を現し、同時に運動家としてこの問題の解決のために先頭に立ってきた。このような生存の過程は、彼女たちが自らの苦痛と向き合い、克服する過程に他ならず、お互いの苦痛を癒す過程でもあった。
ところが、彼女たちの生存の努力に対して、加害者である日本は、そして韓国社会はどのように答えてきたのだろうか。彼女たちの声にまともに耳を傾けているのだろうか。生存者たちは残り少ない人生を惜しみながら、いまだ消えることのない、あるいは新たに募る恨みについて語る。補償されない過去について語り、葛藤によりこじれた家族や隣人との関係について語り、無関心な社会が彼女たちに与える新たな苦痛について語る。それは10年以上続いてきた生存者たちの生の響きが弱いからだろうか。それよりは、日本が、そして韓国社会が彼女たちの響きから目をそらしたり、または歪曲したためであろう。
2004年3月17日には、毎週水曜日に日本大使館の前で展開される水曜デモが600回を迎えた。毎回、水曜デモの開始記念日を迎える度に、100回を超える度に、参加者たちは複雑な気持ちで「次の記念日」がないことを願う。それは、日本政府が公式に謝罪し賠償を行った後のことだろう。だがしかし、日本政府は依然として沈黙を保ったままだ。それどころか、軍国主義の復活を夢見て、歴史教科書から日本軍「慰安婦」の記載を削除する歴史の歪曲をも犯している。日本軍「慰安婦」制度を合理化するために「慰安婦は売春婦だった」、「慰安婦の強制連行などはなかった」等の妄言を繰り返す日本は、必要であればいつでも過去の犯罪を繰り返す用意ができているのである。
韓国社会の狭小な民族主義も、日本軍「慰安婦」問題の解決を遅らせている。周知のとおり、民族主義は日本軍「慰安婦」問題を韓国社会に素早く公論化させた主役だった。1990年代の初め、韓国社会はこの問題の本質を、朝鮮が国を守れなかったために民族の純潔な乙女たちを日本に奪われたのだと認識し、民族的自尊心の回復という次元でこの問題の解決を促した。1990年代の中盤に入ってこのような民族主義的な見方は、民族主義の家父長性が日本軍「慰安婦」問題と密接に関係し合っている性の矛盾を見えなくさせているというフェミニズムからの問題提起を受けたが、既存の態度に大きな変化を及ぼすには至らなかった。女性の貞操を強調する二重的な性倫理と、男性中心的な性文化が支配的な韓国社会において、日本軍「慰安婦」問題が内包する性の矛盾は、いまだに省察の対象とはならずにいる。韓国社会は民族主義のカテゴリー内でのみ日本軍「慰安婦」問題を意味あるものとし、先に述べた日本の妄言に対して「慰安婦は売春婦などではなく、純潔な乙女たちだった」、「慰安婦の動員過程において拉致や詐欺などの強制があったのは間違いない」と対応することで、日本軍「慰安婦」のカテゴリーを狭くさせた。
実のところ、「慰安婦」が売春婦だったのか、強制連行されたのかどうかは、日本軍「慰安婦」問題における核心ではない。「慰安婦」になる前に既に妓生(韓国の伝統的な芸妓)だったり遊郭にいたという人たちも、飲み屋にお金を稼ぎに行くのだと思っていたという人たちも、「そこ」があれほどまでに人間以下の暮らしを強いられる場所だとは知らなかったと話している。脱出は考えることすらできないほど閉鎖的な空間で日本軍の性的虐待を受けなければならない場所だとは知らなかったし、それがどれほど苦痛に満ちたものか想像すらできなかったという。私たちが考えている日本軍「慰安婦」の典型から外れているからといって、彼女たちの苦痛には加害者がいなかったと言えるのだろうか。日本軍「慰安婦」問題は、その当初から生存者たちが記憶の回想を繰り返すことで問題化され、その内容と性格が表面化したという事実を想起する。日本軍「慰安婦」問題の核心は、日本が効率的な戦争遂行のために設けた慰安所において、女性たちが継続的に性の暴力に見舞われ、人権を蹂躙されたという事実にある。日本軍「慰安婦」のカテゴリーは、生存者たちの経験から構成されるべきものであり、日本の主張に対する防御論理の中で創作されてはならない。韓国社会を支配する民族主義の家父長性と、性に対する二重的な態度を省察しない限り、生存者たちの苦痛の声はまともに聞こえてはこないだろう。日本軍「慰安婦」問題を、男性で代表される韓国民族が力を失い、女性たちを保護できなかった民族の恥として認識する限り、そして貞操を守り抜いた女性だけを保護すべき女性として認識する限り、さらには性暴力を受けた女性に「貞操」と「強制性」を立証しろと強要する限り、日本軍「慰安婦」問題の根本的な解決ははるか遠い話となってしまうだろう。
2004年2月、韓国社会を沸き立たせた「慰安婦ヌード映像集」の波紋は、私たちに日本軍「慰安婦」問題に対する新たな省察を求めた。日本軍「慰安婦」事件とは、基本的に国家が主導した性暴力である。ところが、それに対する韓国社会の内面の視線はどうだろうか。それは、一般の強姦事件に対する態度と特に変わらない。つまり強姦事件においては、被害者の苦痛よりも性的な事件という側面にのみ焦点を合わせ、被害者が強姦された状況に好奇心を示し、具体的に再現することによって個人の性的な妄想を満たそうとする。マスメディアも事件報道という美名のもとに刺激的な表現で大衆の期待に応えながら、自らの利益を貪ることに忙しい。彼らが日本軍「慰安婦」問題を扱う方法もこれと変わりはない。マスメディアは民族の痛みという厳粛さを装いながら、「慰安婦」の女性たちがどれだけ残忍に連行されていったのか、一日に何人の軍人の「相手をさせられたのか」、どれだけ力なく暴力にさらされていたのかについて焦点を合わせるだけで、生存者たちが語ることのできる状態であり、場所なのかということに対しては何の配慮もない。カメラを突きつけ、記者手帳を取り出しながら、「慰安婦」の女性たちが語りたい話ではなく、自分たちが「聞きたい証言」に関する質問ばかりを浴びせかけるのである。私たちは内心、マスメディアが提供する「衝撃的な内容」に刺激を受けていたのではないかと自ら問いかけてみる。映像集の企画者も、性の商品化問題に対する韓国社会の鈍感さを見通していたからこそ、「慰安婦ヌード映像集」を企画できたのではなかろうか。性暴力すら商品化しながら女性の苦痛をひそかに楽しむ韓国社会の淫乱な視線は、より積極的な省察と批判が求められる所にきている。
日本軍「慰安婦」問題の解決は、現在どの辺まで来たのだろうか。約10年間あまり、生存者たちの話はさまざまに展開されてきており、また、そこから始まった新たな問題提起も多くあったものの、日本軍「慰安婦」問題を巡る社会的な認識は約10年前とさほど変わってはいないようだ。頑固な民族主義的な視線と共に、性に対する二重倫理と偽善、それらを胚胎させた家父長性は、生存者たちの話をまともに聞けなくさせ、聞きたい話だけを選別して聞くようにさせている。このような韓国社会の限界を超えられない限り、日本軍「慰安婦」の生存者の話は虚しい響きとなってしまうだろう。本書が、6番目に繰り返される話ではなく、6番目に認識と省察の地平を大きく拡大する話になることを願っている。

2004年5月10日
戦争と女性人権センター研究チーム

 
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