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独島(4) 我が民族の誇りの地

大韓民国慶尚北道(キョンサンプックド)鬱陵郡鬱陵邑独島里1~96番地、慶尚蔚珍(ウルジン)郡竹辺(チュクピョン)から東に216.8㎞、鬱陵島から87.4㎞の距離にある我が国土の最東端。水深10m以内の波触台を峡んで、互いに向かい合っている東島と西島、及び周囲に89個の小さな岩から成る島。面積はトータルで187,554㎡でソウルの汝矣島(ヨイド)公園にも及ばないが、この島はまさに我が領土、独島である。水深2,000mの東海の真ん中に、かもめを友とし、ひとりぼつんと立っている独島は、一体我々にとっていかなる意味を持つ島であろうか?
命の危険を顧みず、誇りの島を守り続ける独島義勇守備隊
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独島は、遠い昔から伝えられてきている先祖の魂をそっくりそのまま宿している、我々の希望の拠り所である。鬱陵島に属し、長い間地域の人々と悲しみや喜びを共にしてきた、大韓民国の東の果てにある我々の領土である。我々の先祖はあらゆる苦難を乗り越えながら、この島を守ってきたのである。朝鮮王朝時代の安龍福[註 013]がそうであったし、6.25(韓国戦争)後の苦しい状況の下でも、命を掛けて独島を守ってきた‘独島義勇守備隊’[註 014]がまさにそうであった。それはまさに、独島が他人に奪われてはならない、先祖の血の汗が滲んだ希望の島であったからである。
我々にとって、独島は裁判や司法的手段で決められる島ではない。独島は特別な愛着と歴史的な意味を持つ島である。韓半島が帝国主義の日本に侵奪された時、まず最初に併合され、解放と共に、断固、取り戻した我々の島である。
しかし日本は過去の植民地支配を合法と言い、韓国が独島を不法に占拠していると主張している。このような日本の独島の領有権の主張は、大韓民国の完全な主権回復を否定する行為以外の何物でもない。これは過去に対する深い反省から目を背けたまま、新たなる帝国主義的な発想による一方的な主張だとしか考えられない。歴史と主権を否定する行為に対しては、いかなる妥協もあり得ない。
‘今日、日本が独島に対する権利を主張する事は、帝国主義侵略戦争による占領地に対する権利、それだけでなく過去の植民地に対する領土権を主張する事と同じである。これは韓国の完全な解放と独立を否定する行為である。’
‘日本政府が過ちに気付くまで、国家の力を結集し、同時に国際的な支援を受けながら、粘り強く努力していくつもりだ。’
- 韓日関係に対する盧武鉉大統領の特別談話·2006.4.25
 
日本政府が独島の領有権を主張する事で、歴史的にも地理的にも最も近い隣国の人々に、過去の不幸な記憶を思い起こさせ、自国の欲だけを満たす帝国主義であった事をさらけ出す事は、日本にとって不幸な事であろう。日本政府が独島の領有権を主張する限り、過去に韓半島と東アジアに深い傷跡を残した帝国主義日本に対する遺恨は、決して消し去る事は出来ない。独島は正しい歴史認識のバロメーターであり、未来の韓日関係の試金石である。
我々は日本と共に正しい歴史認識を確立し、21世紀の東アジアの平和と繁栄のために協調していける事を望んでいる。そのために日本は、独島に対する誤った領有権の主張を直ちに撤回すべきだと考える。

 
[註 013]
朝鮮の粛宗(スクチョン)の時代に日本に渡り、鬱陵島と独島が朝鮮の領土である事を明らかにした人物。釜山の東莱の漁民40名余りの漁民と共に鬱陵島で漁業をしている時、日本の漁船を発見し、日本に渡り、鬱陵島が朝鮮の領土である事を堂々と主張した。これをきっかけに日本は公式的に鬱陵島と独島が朝鮮の領土である事を認め、日本の漁師が鬱陵島に渡航する事を永久に禁止するという文書を送ってきた。
[註 014]
1953年4月20日から1956年12月30日まで、独島へ侵入する日本の漁船と巡視船などと対峙し、独島を守り通した純粋な民間組織。
洪淳七(ホンスンチル)大隊及び鬱陵島の青年33名で構成されており、6.25(朝鮮戦争)に參加した戦闘員出身者が大半であった。彼らの装備は劣悪なものであったが、独島に接近してくる日本の巡視船、及び航空機などと銃撃戦を繰り広げながら、独島を守り抜いた。
[註 013] 安龍福(アンヨンボク)
朝鮮の粛宗(スクチョン)の時代に日本に渡り、鬱陵島と独島が朝鮮の領土である事を明らかにした人物。釜山の東莱の漁民40名余りの漁民と共に鬱陵島で漁業をしている時、日本の漁船を発見し、日本に渡り、鬱陵島が朝鮮の領土である事を堂々と主張した。これをきっかけに日本は公式的に鬱陵島と独島が朝鮮の領土である事を認め、日本の漁師が鬱陵島に渡航する事を永久に禁止するという文書を送ってきた。
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[註 014] 独島義勇守備隊
1953年4月20日から1956年12月30日まで、独島へ侵入する日本の漁船と巡視船などと対峙し、独島を守り通した純粋な民間組織。
洪淳七(ホンスンチル)大隊及び鬱陵島の青年33名で構成されており、6.25(朝鮮戦争)に參加した戦闘員出身者が大半であった。彼らの装備は劣悪なものであったが、独島に接近してくる日本の巡視船、及び航空機などと銃撃戦を繰り広げながら、独島を守り抜いた。
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