• 東海の中の独島
  • 争点からみた独島
  • 独島、鬱陵島からは見える

1. 地理的近接性の意味

国際法では、地理的に近く位置しているという事実を根拠に領土主権を主張することができるかという議論がある。これを地理的近接性に関する議論という。地理的近接性(geographical contiguity)は地理的接続(geographical proximity) または連続性(continuity)、領土的隣接性(territorial propinquity)ともいわれる。[註 079]その意味は、本土に近い島である場合、本土が属する国家の領土の一部をなし、また群島の場合には、主島の運命に応じて、残りの島の運命が決定するということである。[註 080]地理的近接性は、大きく二つの状況に分けられる。一つは島に関連するもので、本土とそれに隣接した島、または群島の場合は主島と残りの島の関係が問題となる場合であり、他の一つは本土内で互いに陸地でつながっているのに一部地域と異なる地域が問題となる場合である。[註 081]地理的近接性が主に議論され始めたのは、アフリカの植民地拡大時期で、この時期議論された理論を後背地論(hinterland doctrine)という。これは、沿岸の一地方を占領したことを根拠に、その内側の領域すなわち後背地まで占領を主張することができるという理論である。[註 082]しかし、この理論は、1885年のベルリン会議一般議定書(1885 General Act of the Berlin Congress)によって否定されたが、アフリカ大陸沿岸において新たな先占が有効であるために、地方的権力を確立する必要があるということである。[註 083]その後、南極と北極地域の領域紛争において、地理的近接性に基づいて、扇形理論(sector theory)が提唱された。[註 084]扇形理論は、非沿岸国が発見を根拠に領域権原を主張することに対抗するために極地域の沿岸国であるカナダ、ロシア、デンマーク及びチリ、アルゼンチンなど北極や南極地域の隣接国が主張した理論である。これは、南極や北極の極を頂点とし、自国領土の両端をなす二つの子午線と一つの緯度線とによって囲まれた扇形の区域内にある島と陸地は、隣接地域に位置する国家の領域となるという主張である。[註 085]しかしこれらの主張は、非沿岸国の反対と領土権主張を凍結した南極条約の成立などで独自の領域権原として認められなかった。

2. 地理的近接性の妥当性論議

地理的近接性と関連して、国際裁判で議論された代表的な事例が1928年パルマス島事件である。この事件で米国は既に議論した「発見」だけでなく、「地理的近接性」に基づいて、パルマス島の領土主権を主張した。米国の主張によると、1898年12月10日の平和条約(the Treaty of Peace)に基づいてスペインからフィリピンの譲渡を受け、その時隣接するパルマス島も一緒に譲渡を受けたというのである。パルマス島は、フィリピンのミンダナオ(Mindanao)島から南東に約77km、インドネシアのナヌサ(Nanusa) 島から約82km離れている。フィリピンの方が約5km近い。[註 086]この事件でマックス·フーバー仲裁裁判官は、地理的近接性を領土権原として認定できる国際法的根拠はないとした。[註 087]彼は、その理由について次のように述べた。[註 088]
たとえ国が一定の事情下で、国の沿岸から比較的近い島が地理的な理由で自国に属すると主張しても、領海(territorial waters)の外に位置する島は、その領土がterra firma(最も近接した陸地、または相当な大きさの島)を構成している事実から、その国に属すべきであるという趣旨の実定国際法の規則の存在を提示することは不可能である。
 
彼はその理由を 「国際法上、そのようなルールを確立するのに十分な頻繁かつ正確な先例がないと思われるだけでなく、その主張された原則自体も性質上非常に不確実で争いが多いため、同じ国の政府さえも場合によっては、その妥当性についての矛盾した意見を主張してきた 」とした。[註 089]つまり近接性理論は、全体的に正確性に欠陥があり、その適用においても、恣意的な結果をもたらす可能性がある。
しかし紛争地域の性質によって、地理的近接性は領土取得には何の影響を及ぼさないとは考えられない。パルマス島を例に挙げると、パルマス島は面積3.15km²で、1928年の裁判当時には約750人が居住していた。[註 090]当時、パルマス島はサンギ(Sangi)島をはじめ、いくつかの島々の先住民の首長たちがオランダ東インド会社とオランダの宗主権(Dutch suzerainty)を確立する協定を結ぶほど、ある程度独立した地位を持っていた。
もしパルマス島が人の住んでいない無人島であったり、フィリピン領に相対的に非常に密接に位置していた場合、他の結論が出た可能性もあるだろう。フーバー仲裁裁判官が地理的近接性に基づいて米国の主張を排斥した理由は、地理的近接性が独自の領土権原を形成できなかったためというよりは、オランダの権原が相対的に優越であったためと考えられる。オランダは東インド会社によって先住民代表者との宗主権関連協定を締結し、オランダ当局が島を訪問して軍服や軍隊の旗のような主権の外部的標識も表示し、当局が税金を課すなどの実効的支配行為が重く考慮された。[註 091]また、スペインがその島を発見した後、長期間パルマス島に直接または間接の主権の表示をしていなかっただけでなく、オランダの領有権行使についても何の主張や抗議の表現もしなかった。
もちろん領土主権紛争で重要なのは、紛争地域に対する継続的かつ平和的な国家機能の行使である。しかし実効的な国家機能の行使という実質的な条件が満たされれば、地理的近接性に基づいた領土権原の主張は領土主権関連裁判においてより有利に作用するだろう。[註 092]つまり地理的近接性は、独自の領土権原として認定するには困難があるが、領土主権を主張する国家の実効的支配の事実を評価するのに重要な要素になるということである。
地理的近接性は国家主権の継続的かつ平和的な表示という実効的支配に優先することはできないが、住民のいない不毛の孤島である場合にはその実効的支配を推定できる証拠(prima facie evidence)として提示することはできるだろう。[註 093]
3. 鬱陵島と独島の地理的近接性と領土権原

独島は二つの大きな島である東島(73,297m²)と西島(88,740m²)、そして周辺の89の岩礁で構成されている。面積(187,554m²)は、ソウルの独立公園(109,193.8m²)の約1.7倍の大きさである。独島から最も近い島が鬱陵島であり、独島と鬱陵島は87.4km(47.2海里) 離れている。その次が日本の隠岐の島であるが、独島と隠岐の島の間の距離は157.5kmで(85.0海里)、鬱陵島から独島までの距離より1.8倍も遠い。
前述したように、地理的近接性を独島に対する独立的な領土権原として主張するのは難しい。「釜山から対馬が見えるくらい近いから、対馬が韓国の領土だと主張することも可能だということか」と反問する人もいる。しかしパルマス島や対馬のように長い間、人が住んでいる有人島と、独島のように長い間、人が住んでいない無人島であった島とは区別する必要がある。人が住んでいる島の場合は、単純に見えるくらい近い距離にあるだけで領土主権を判断することはできないだろう。
しかし独島の場合、1950年代初め独島に警備隊が常駐するまで常住人口がなく、一時的·季節的に居住するだけであった。このような独島は次の 「IV.歴史地理的な一体性」で論じているとおり、人が長い間居住した島と区別する必要があり、この場合地理的近接性は独島に対する歴史的権原ないし実効的支配を推定できる証拠として考慮されるはずである。

 
[註 079]
S. P.Sharma(1997), pp.51〜52
[註 080]
イ・ハンギ(1969)、前掲書、201〜204頁; S. P.Sharma(1997), pp.51~61, 262~265.
[註 081]
太寿堂鼎(1998)、前掲書、108頁。
[註 082]
イ・ハンギ(2002)、『国際法講義』新装版、博英社、312頁; S. P.Sharma(1997), p.53;太寿堂鼎(1998)、『領土帰属の国際法 』、東京 : 東信堂、104〜113頁。
[註 083]
イ・ハンギ(2002)、前掲書、312頁; Encyclopedia of Public International Law, Vol.4(2000), 「Territory, Acquisition」, p.837.
[註 084]
詳細については、Encyclopedia of Public International Law, Vol.4(2000), 「Territory, Acquisition」, p.837参照。
[註 085]
イ・ハンギ(2002)、前掲書、313〜314頁;太寿堂鼎(1998)、前掲書、104〜113頁。
[註 086]
  参照。
[註 087]
The Island of Palmas Case(1928), p.35
[註 088]
The Island of Palmas Case(1928), p.22.
[註 089]
The Island of Palmas Case(1928), p.22
[註 090]
2009年現在、678人が住んでいる。  
[註 091]
The Island of Palmas Case(1928), pp.33〜35
[註 092]
S.P. Sharma(1991), p.265
[註 093]
イ・ハンギ(1969)、前掲書、203頁。
[註 079]
S. P.Sharma(1997), pp.51〜52
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[註 080]
イ・ハンギ(1969)、前掲書、201〜204頁; S. P.Sharma(1997), pp.51~61, 262~265.
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[註 081]
太寿堂鼎(1998)、前掲書、108頁。
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[註 082]
イ・ハンギ(2002)、『国際法講義』新装版、博英社、312頁; S. P.Sharma(1997), p.53;太寿堂鼎(1998)、『領土帰属の国際法 』、東京 : 東信堂、104〜113頁。
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[註 083]
イ・ハンギ(2002)、前掲書、312頁; Encyclopedia of Public International Law, Vol.4(2000), 「Territory, Acquisition」, p.837.
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[註 084]
詳細については、Encyclopedia of Public International Law, Vol.4(2000), 「Territory, Acquisition」, p.837参照。
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[註 085]
イ・ハンギ(2002)、前掲書、313〜314頁;太寿堂鼎(1998)、前掲書、104〜113頁。
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[註 086]
  参照。
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[註 087]
The Island of Palmas Case(1928), p.35
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[註 088]
The Island of Palmas Case(1928), p.22.
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[註 089]
The Island of Palmas Case(1928), p.22
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[註 090]
2009年現在、678人が住んでいる。  
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[註 091]
The Island of Palmas Case(1928), pp.33〜35
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[註 092]
S.P. Sharma(1991), p.265
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[註 093]
イ・ハンギ(1969)、前掲書、203頁。
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