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  • 独島は韓国領土
2. アメリカ国務省とイギリス連邦の立場から見た独島の位置
SCAPIN 677号の付属地図1946年に発令された連合軍最高司令部指令(SCAPIN)677号により描かれた朝鮮半島の地図には、独島が日本の行政区域から除外され、韓国領として表示されている。1948年に独立した大韓民国は、独島に対する主権を行使し始め、第2次世界大戦以降、独島を韓国領土と確定した。
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文書〈リアンクル・ロックス〉アメリカ国務省宛に送った駐日アメリカ大使館の公文書(1952年10月3日)
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サンフランシスコ平和条約の第5次草案までは独島が韓国の領土として記載されていたが、日本の執拗なロビー活動により、アメリカ国務省は一時サンフランシスコ平和条約の草案に独島を日本の領土と記載したこともあった。その過程は、同条約の非調印国である韓国には知らされなかった。しかし、イギリス連邦などが反対し、独島は日本の領土からも削除された。そのため、独島が日本の領土として残ったという日本側の主張は成立しない。イギリスはアメリカとは別に独自の草案を作り、独島を韓国の領土としてはっきりと描いた付図を草案に添付した。結局、アメリカ国務省の草案とイギリス連邦の草案が折衷され、最終草案には朝鮮半島と代表的な島々だけが韓国の領土として記載されたのである。
韓国政府は1951年7月の時点で、独島が韓国の領土の条項にはっきりと記載されないということを知ったが、朝鮮戦争の混乱した状況の中、充分な対応を取ることができなかった。そのような状況の下、韓国政府は独島を韓国領土としてはっきりと記載してほしいとアメリカ国務省に要求したが、アメリカ国務省はこれを拒否した。しかし、アメリカ国務省の地理担当官は、独島の帰属について継続して調査が必要だとし、アメリカは独島に対する情報を、いつも「我々の情報によると」という言葉で表現し、完璧ではないという点を認めていた。
当時、アメリカのダレス国務長官は「日本が独島を日本の領土として編入(1905)する前、独島が韓国領土であったということが確実であるならば、韓国の領土に対する日本の領土的権利の放棄を規定するサンフランシスコ平和条約の関連条文に独島を含めることは、特に問題にはならない」と発言した。結局、独島に対する充分な調査がなされる前に、冷戦開始を理由に、アメリカなどの連合国は自由陣営に日本を参加させることを優先させ、1951年9月に同条約の調印式を実施したのである。
その後、独島が1905年以前に韓国の領土だったという事実は、現在まで充分に証明された状態である。最近発見された、1952年10月に駐日アメリカ大使館がアメリカ国務省に送った文書の中に「アメリカ国務省はリアンクル・ロックス(=独島)の歴史を既に何度も検討したことがある。…その岩はアザラシの繁殖地であり、ある時期、朝鮮王朝の一部であった。その岩は日本がその帝国を朝鮮に拡張した際、朝鮮の残りの領土と共に併合された。…日本はリアンクル・ロックス(=独島)に対する日本の領有権には理由があると主張している。それに韓国が異議を申し立てるのは明らかな根拠に立脚している」とし、アメリカ国務省が独島に対する事後調査を行い、韓国の独島領有権を認めた事実に言及している。

 
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