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  • 独島は韓国領土
1. 1900年、大韓帝国勅令第41号、独島を韓国領土として世界に公表
1900年、大韓帝国は「大韓帝国官報1716号」を発行し、「勅令第41号」を世界に公表した。勅令41号は「鬱陵島を鬱島に改称し、島監を郡守と改正する件」であり、その第2条に「郡庁位置は台霞洞に定め、区域は鬱陵島全体と竹島と石島を管轄する事」と定めた。ここでいう竹島とは、鬱陵島から東に2kmの距離にある島を指し、石島が現在の独島である。独島は朝鮮の歴史の中で主に于山島と呼ばれていたが、1882年に朝鮮王高宗と鬱陵島の検察使である李奎遠の会話の中から、高宗が「鬱陵島と竹島、松島(=独島)を総称して鬱陵島とする」と言ったことをきっかけに、名称に変化が生じた。その後、松島は日本名であるため、その名前を捨てたと推定され、鬱陵島の住民が独島をトルソム(石の島)と呼んでいたため、全羅道などの方言からトルソム→ドクソム→ドクト(独島)と名称が変化し、現在の独島という名称に定着した。文献では、1904年に日本の軍艦『新高』が「韓国人はこれを独島と書く」と記録したのが最初である。韓国側の文献では、1906年に鬱陵島の郡守沈興澤が報告書の中に独島という名称を初めて使った。これは、独島という名称がそれ以前から定着していたことを証明している。石島とはトルソムを漢字表記した名称である。
大韓帝国勅令第41号
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日本の学者は、石島とは独島ではなく鬱陵島の北にある観音島だと言っているが、観音島には島項、カクセソムなどの名称があったため、わざわざ石島と命名する必要はなかった。また観音崎と呼ばれ、島ではないと認識されていた。島項という名称も「島のうなじ」という意味であるため、完全な島として見なしてはいなかった。すなわち、石島とは独島のことであり、1900年に大韓帝国は独島を鬱島郡の管轄区域に正式に編入したのである。1905年に日本が独島を島根県に不法編入した時より5年も早い時点であった。

 
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