• 東海の中の独島
  • 歴史の中での独島
  • 独島は韓国領土
3. 17世紀中頃に独島に対する領有権を樹立したという日本政府の主張の虚構性
17世紀初め、日本の伯耆国(現在の鳥取県の一部)の大谷家、村川家が江戸幕府(1603-1867)の許可を得て、1620年頃から鬱陵島、独島に渡海し始めた。その後、1693年に安龍福事件が起こり、ついに1696年、江戸幕府は日本の漁夫が鬱陵島に渡海することを禁止した。しかし、日本は1696年以降も独島への渡海は禁止しなかったとし、独島に対する領有権を17世紀の中頃に確立したと主張している。これは、鬱陵島の渡海禁止令を下すまでの過程を無視した虚偽に過ぎない。
松島(=独島)が鳥取藩の領土ではないとした鳥取藩の報告書
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1696年1月25日、江戸幕府の質問に答えた鳥取藩は「竹島(=鬱陵島)と松島(=独島)は自国領でなくどこの藩の領地でもなく、松島(=独島)は竹島(=鬱陵島)に行く途中にある島」と報告している。この3日後に江戸幕府は竹島(鬱陵島)渡海禁止令を出したのである。封建社会であった当時、各地方の領地ではない地は異国の地であった。竹島(鬱陵島)渡海禁止令により、鬱陵島に行く途中にある独島へも渡海が禁止されたのである。すなわち、この時点で独島は確実に朝鮮の領土となったのである。それはその後、鳥取藩がその領地を描いた地図に、一度も独島を含めたことがないという事実からも証明される。

 
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