• 高句麗と渤海
  • 正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

高句麗の歴史は中国史かそれとも韓国史か

  • ▶ 高句麗の遺民の多くが中国人となったのだから高句麗は中国史である。
  • ▶ 歴史の継承は人数ではなく、継承意識と復興の意志で評価される。
▶ フラスコ型の甕1988年に夢村土城から出土した高句麗の代表的な土器。
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「東北工程」では、高句麗の遺民の相当数が中国に流入して漢族に吸収されたのであるから高句麗史は中国史であると主張する。高句麗の遺民のうち2万8千戸余りの人々は唐によって中国内地に強制的に移住させられ、一部は高句麗の旧都に残留して大祚栄が渤海を建国するとその下についた。また、一部の遺民は唐の支配を避け突厥へと逃亡したり、日本に渡海したりもした。新羅へと移住する人々も多かった。中国では高句麗遺民の1/7だけが新羅に下って韓国人の先祖となり、それよりはるかに多くの人々が中国人になったとして、高句麗史は中国史であると主張している。
ところが、唐に連れて行かれた人々は自らの意志とは関わりなく強制連行されていったのであり、その後その存在は消え去ってしまった。しかし、新羅に移住した人々は三国間の交流を通じて培われた同類意識に基づいて新羅を選択したのであって、高句麗復興の意志と継承意識を持っていた。高句麗の遺民を受け入れる立場においても、唐と新羅の間には相違があった。唐は高句麗の復興を防止するために遺民らを強制的に集団移住させた。一方、新羅では遺民を受け入れて 報徳国を建てることを許し、三国を統一したことを強調した。これは、新羅が高句麗と百済の歴史も継承したということを宣言するものである。このような高句麗継承意識は、渤海、後三国、高麗を経て今日の我々にまで伝えられている。

高句麗史の韓国史帰属を立証する決定的な要素


• 高句麗復興軍の活動
• 高句麗の復興国である報徳国の存在
• 三国統一を強調した新羅の「一統三韓意識」
• 高句麗の継承国であることを宣言した渤海、後高句麗、高麗の存在
• 高句麗・百済・新羅を韓国史としてまとめた歴史書の存在
※ 『三国史記』、『三国遺史』、『帝王韻紀』、『東国李相国集』などは、高句麗史が韓国史に帰属し、韓国史として継承されたことを示す確実な証拠である。

 
報徳国
674年に安勝が全羅北道益山地方に建てた高句麗の復興国。683年に新羅に吸収された。
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