• 高句麗と渤海
  • 正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

高句麗のルーツ

  • ▶ 高句麗は中国の古代民族が建てた中国古代の地方政権である。
  • ▶ 高句麗は種族の起源や歴史の継承意識すべてにわたって韓国史の一部であることを示している。
▶ 広開土王陵碑拓本「かつて始祖である鄒牟王が国を建てられたが北夫余出身で」として、高句麗を建国した人々が中原から渡ってきた人々ではなく、現在の吉林一帯に根を張っていた北夫余出身であることを明らかにしている。
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中国の学者らは、民族の起源というものが国家と歴史の帰属に最も重要な要素であると見なしている。このような見解に基づいて、中国の古代民族が高句麗を建国したのであるから高句麗史は中国史であると主張している。中国の学者らは、高句麗民族の起源を濊貊・夫余・高夷・ 商人・炎帝族に求めている。最近では、これらすべてと漢族が結合して高句麗を構成し、その中でも漢族が中心となっていたとの見解が力を得ている。すなわち濊貊を含む高句麗の構成員すべてが中国の古代民族であるので、高句麗は中国古代の地方政権であるとの主張である。
しかし、複数の歴史書に高句麗は中原から渡ってきた民族ではなく、遼東と朝鮮半島中北部一帯の土着族である濊貊族が建てた国であると記録されている。この濊貊は、中国の北方で活動していた貊族とは別の存在であり、三韓の韓族と同じ東夷族に属する。
そして、民族の起源よりもさらに重要なのは、高句麗人らが誰と歴史的経験を共にし、どの国からの継承意識を持っていたのかという点である。同じ種族であっても同族意識を持たず、後世の人々が先祖であると考えないのであれば、その歴史は継承されない。高句麗人は自らを中国人とは別の存在であると考えており、新羅人・百済人・東夫余人に対しては同属意識を持っていた。
高句麗・百済・新羅の三国は互いに闘争したり交流したりしながら歴史的経験を共有しており、それがついには統合の道へとつながっていった。新羅の統一意識、渤海、後三国、高麗の成立は、高句麗史が韓国史に属するということを示す明らかな証拠である。

 
商人
商は殷とも呼ばれるが、その国の人々は自ら商という国号を好んで使用したという。
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