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3.解放後の独島

学習目標
第二次世界大戦後、独島に対する連合国の処理過程について理解することができる。
解放後、独島の主権を回復してからの独島守護活動について説明することができる。
 
思考を開く
第二次世界大戦の終盤、連合国は戦後の領土問題を処理する過程で、日本が戦争前に暴力によって奪い取った地域から撤退すべきだという原則に合意した。この地域には独島が含まれていた。しかし、日本は独島が1910年以前に日本の領土だったため、返還しなくてもいいと主張した。連合国は対日本講和条約を準備する過程で、独島をどのように認識したのだろうか?
 

第二次世界大戦と独島

第二次世界大戦が終盤にさしかかったことから、アメリカ・イギリス・中国の首脳は1943年11月22日から26日まで、エジプトのカイロで会談を開いた。この会談で、戦後の日本の領土処理に関する連合国の基本方針と、韓国の独立問題が論議された。3ヶ国の首脳が署名したカイロ宣言は、日本が「暴力および貪欲により奪取した一切の地域から撤退すべし」とし、また「韓国国民が奴隷状態であることに留意し、韓国を自由かつ独立した国家とする決意を有する」とした。
カイロ会談に参席した米・英・中の首脳部
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1945年7月26日のポツダム宣言は、第8項に「カイロ宣言の条項は履行されなければならず、また日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国が決定する小さな島々に局限される」とした。1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し、9月2日に降伏文書に署名した。
日本は、独島が元々韓国の領土ではなく、戦後日本が返還した地域は1910年8月の韓日併合条約当時の韓国領土であり、独島は「暴力および貪欲で日本が奪い取った地域」ではないと主張している。しかし、独島は1905年に日本が「暴力および貪欲で奪った」地域に該当する。ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に署名した日本は、強制的に奪い取った地域から「撤退」すべきである。

連合国の戦後処理 : 連合国最高司令官指令第677号と第1033号

第二次世界大戦で敗戦した日本は、1945年9月2日に降伏文書に調印した時点から1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約まで、連合国の占領統治を受けた。
SCAPIN 677の付属地図に表示された独島(TAKE)
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1946年1月29日、連合国最高司令官は日本政府に指令第677号「日本から一定周辺地域の統治および行政上の分離(Governmental and Administrative Separation of Certain Outlying Areas from Japan)」、いわゆる スキャピン(SCAPIN) 第677号を下した。この指令を通して、連合国は日本政府に「日本国外の全ての地域」、すなわち敗戦直前まで支配していた植民地や占領地に対する政治・行政上の権力行使を停止するよう命令した。
この指令の第3項は、日本の領土を「北海道、本州、九州、四国と、北緯30度以上の琉球諸島と、対馬を含む約1,000個の隣接する複数の島嶼で構成される」と定義した。ここで「隣接する複数の島嶼」に含まれない地域として「鬱陵島と独島、済州島」が明記された。独島を鬱陵島、済州島と同様に韓国の領土として分類したのである。
続いて連合国は、1946年6月22日、連合国最高司令官指令第1033号(SCAPIN 1033)「日本の漁業および捕鯨業の許可区域」を出し、日本の船舶および国民が独島の周辺12海里以内に接近することを禁じた。
連合国最高司令官指令第677号と第1033号は、当時連合国が独島を韓国の領土として認識していたことを物語っている。独島は解放後、駐韓アメリカ軍政当局に移管されてから、1948年8月15日に大韓民国政府の樹立と共に返還されたのである。

独島爆撃事件

大韓民国政府が樹立される頃の1948年6月8日、日本の沖縄に基地を置くアメリカ空軍機が独島を爆撃し、周辺で操業していた鬱陵島漁民に多数の死傷者が発生した。当時、独島でワカメを採取していた人々は、主に鬱陵島と江原道から来た漁民であった。死亡者は約14~16人で、20隻余りの大小の船舶が沈没または破損した。
独島遭難漁民慰霊碑
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当時、独島が駐日アメリカ空軍の爆撃練習地として指定された事実を知らなかった韓国の漁民たちが、独島で操業を行っていたのである。この事件についてアメリカ極東航空隊司令部は「偶発的な事件」であると発表し、独島に対する爆撃練習を一切中止すると発表した。
1951年7月6日、連合国最高司令官指令第2160号により独島が爆撃練習地として再指定され、爆撃事件が再発した。1952年に韓国山岳会が組織した鬱陵島・独島学術調査団が派遣された9月15日午前11時頃、独島でアワビを採っていた海女と船員など23人が、西島周辺を周回しながら4発の爆弾を投下した飛行機の空襲を受けており、9月22日にもアメリカ軍航空機の爆撃練習があった。このため学術調査団は鬱陵島に戻り、9月24日に再び独島に接近したが、爆撃が続いたため上陸に失敗した。
韓国政府は、独島爆撃事件が再発しないよう、駐韓アメリカ大使館に抗議し、1952年12月4日、アメリカ大使館は独島を爆撃練習基地として使用しない旨を返信した。1953年1月20日には爆撃練習地使用中止に関する指示を下したという連合軍司令官の報告があった。
独島爆撃事件の記事(『京郷新聞』1948年6月16日付)
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サンフランシスコ講和条約と独島問題

第二次世界大戦の敗戦国である日本は、約7年に渡る連合国の占領統治を経た後、連合国と1951年9月8日に サンフランシスコ講和条約(San Francisco Peace Treaty)を結び、新しい国際秩序に編入されることになった。連合国を実質的に率いるアメリカとイギリスにより、1946年初めから講和条約の草案が練られ始め、1951年8月に最終草案が完成するまで約20回ほど推敲が重ねられた。
サンフランシスコ講和条約を締結する様子(1951年)
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最初に作成された連合国の草案は、戦後、米・英・中・ソの4大国の協調が前提とされた。しかし、アメリカとソ連が徐々に理念的に対立するようになり、中国が共産化したことから、アメリカとイギリスが日本を資本主義陣営に引き入れ、東アジアにおける共産主義の防波堤にしようとする戦略を取るようになった。この過程で、講和条約案は日本に対して厳格で懲罰的な内容から、寛大で簡潔な内容へと変化していった。
独島の帰属問題において、1947年3月19日付の講和条約草案から1949年11月2日までは、独島が韓国の領土として明記されていたが、12月8日付の草案からは日本の領土として明記され、1950年8月7日付の草案からは独島が条約案から外された。
結局、1951年8月13日に完成したサンフランシスコ講和条約の最終草案は、第2条(a)項に「日本は韓国の独立を承認し、済州島、巨文島および鬱陵島を含む韓国に対する全ての権利、権原、そして請求権を放棄する(Japan should recognize the independence of Korea, and that Japan should renounce all rights, titles and claims to Korea, including the islands of Quelpart, Port Hamilton and Dagelet)。」と規定した。
日本は、サンフランシスコ講和条約で韓国の独立を承認したが、合併以前の日本の領土を韓国に譲渡するという内容は条約にはなく、第2条(a)項に独島がないという点を挙げて、独島は日本の領土だと主張している。
これについて韓国側は、第2条(a)項に日本から分離された全ての島嶼を列挙したわけではないということは、韓国の島嶼が済州島、巨文島、鬱陵島だけではないという事実に照らし合わせても明白だと反論している。また、独島が日本の領土だとすれば、韓国の済州島と巨文島、鬱陵島以外の全ての島に対しても領有権を主張するのかを問い、反論している。

平和線宣言で独島の領有権を確認

1952年1月18日、李承晩大統領は「隣接海洋に対する主権に関する宣言(別名、平和線)」を国務院告示第14号で宣布した。この平和線は1929年に日本が制定した「トロール漁業(trawl fishery) 禁止区域」を基準に、朝鮮半島の沿岸に設定したものである。日本は独島が平和線内にあることを知って抗議し、平和線を「李承晩ライン」と呼んだ。
「隣接海洋に対する主権に関する宣言」が掲載された官報(1952年)
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日本の降伏以降、朝鮮半島の周辺には「マッカーサーライン(MacArthur Line)」という海洋境界線があったが、これは連合国最高司令官指令第1033号により設定されたもので、日本の漁業を制限する効果があった。
1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されると、マッカーサーラインが廃止され、日本の漁船が押し寄せることが予想されたため、韓国の漁業を保護する目的で平和線を設定したのである。すなわち、平和線は大韓民国が独島近海の魚類資源を保護し、領海と大陸棚に対する主権を行使する目的で設定したものである。平和線の宣布以降、韓国政府は平和線を侵犯する日本の船舶を拿捕するよう命令し、独島を含む平和線内が大韓民国の管轄であることを対内外的に明らかにした。

1965年韓日基本条約と独島

韓国は1948年の政府樹立以降、文化財の返還、漁業、在日韓国人の法的地位、サンフランシスコ講和条約による対日請求権の問題などを解決するため、日本と交渉することになった。
独島問題は、1952年1月18日に李承晩大統領が宣布した「平和線」について日本政府が抗議し、会談の重要な場面の度に交渉の進展に大きな障害となった。1951年10月20日から始まった韓日間の交渉は、1965年6月22日に韓日基本条約(正式名称は「大韓民国と日本間の基本関係に関する条約」)を調印するまで、約14年かかった。
韓日会談中、日本は独島問題を国際司法裁判所に提訴することに同意してほしいなどと言って独島問題を提起したが、韓国政府は独島が国際司法裁判の対象にはならないとし、断固として拒否した。

1965年と1998年の韓日漁業協定

1952年1月の平和線宣布後、1965年6月に協定が締結される時まで、平和線侵犯により拿捕された日本の漁船は総計326隻、抑留された船員は3,094人であった。韓日漁業協定は、1952年2月の第一次韓日漁業協定の会談が始まってから14年後に東京で締結された(1965.6.22).
㋑ 韓日漁業協定水域図(1965年)
㋺ 新韓日漁業協定水域図(1998年)
出典 : 国土地理情報院
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韓日漁業協定の主な内容は、韓日両国がそれぞれ自国の沿岸から12海里 漁業専管水域(Exclusive Fishery Zone)を設定し、専管水域の外では 旗国主義が適用される共同規制水域とし、韓国漁船は韓国が、日本漁船は日本が取り締まりと裁判管轄権を行使するようにした。韓日漁業協定は5年ごとに自動更新され、終了宣言日から1年後に終了するようになっていた。
1994年に「国連海洋法条約」が発効され、過去、領海と公海とに区分されていた海は、領海(12海里)、 接続水域(24海里)、排他的経済水域(EEZ、200海里)、大陸棚(200~350海里)、公海に区分された。これにより、朝鮮半島の周辺水域は公海が全く存在しない状態となり、12海里漁業専管水域を規定した韓日漁業協定は改定が避けられなくなった。新しい環境に合わせ、韓日両国は1998年11月28日にいわゆる「新韓日漁業協定」を締結した。
韓国政府は新韓国漁業協定を通して、1996年に韓日両国がEEZを宣布した結果発生した中間水域に対し、これはEEZ境界画定以前の段階の暫定措置であることを明らかにした。新韓日漁業協定で韓国は、相当する面積のEEZを韓国の管轄下に置くことになった。
資料
国際司法裁判所とは?
国際司法裁判所(International Court of Justice、ICJ)は国連の主要機関の一つである。オランダのハーグにあり、9年任期の裁判官15名で構成されている。ICJの裁判管轄権が成立するためには、両当事国間の合意が必要である。
 
活動 1
「新韓日漁業協定」において独島が中間水域内に位置することから、これを独島領有権と関連づけ、憂慮する意見がある。これに対する賛否の論争について調べてみよう。
 

 
スキャピン(SCAPIN)
本来は連合国最高司令官指令に付与された一連番号である「連合国最高司令官指令索引番号(Supreme Commander for the Allied Powers Index Number)」の略称であるが、連合国最高司令官総司令部が日本に対して下した布告、命令、および指令(Supreme Commander for the Allied Powers Directives to the Japanese Government)を簡単に「SCAPIN」と言い、「連合国最高司令官指令」と翻訳する。
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サンフランシスコ講和条約(San Francisco Peace Treaty)
正式名称は対日平和条約(Treaty of Peace with Japan)である。
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トロール漁業(trawl fishery)
展開板が付いた袋網を底引きして魚を獲る漁業
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マッカーサーライン(MacArthur Line)
第二次世界大戦が終わった後、日本を占領統治していた連合国最高司令官総司令部が、1946年6月指令第1033号で「日本の漁業および捕鯨業許可区域」を宣布し、日本の船舶の漁労活動の範囲を制限した時に設定した線である。当時、連合国最高司令官のダグラス・マッカーサーの名前にちなんでマッカーサーラインと呼んだ。
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漁業専管水域(Exclusive Fishery Zone)
沿岸国が漁業で排他的権利を保有している水域
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旗国主義
船舶の国籍国が船舶を管轄すること
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接続水域
接続水域とは、領海の基線からその外側24海里の線までの水域から領海を除いた水域のことを言う。この水域において外国船舶は、関税・財政・出入国管理、または保健・衛生に関する沿岸国の法律を順守しなければならない。(19ページ図参照)
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