• 東海の中の独島
  • 独島関連教育
  • 正しく知る独島(高校生用)

1.独島の開拓と大韓帝国勅令第41号

学習目標
近代に日本が鬱陵島と独島を侵奪しようとした理由を説明することができる。
大韓帝国が勅令で、独島が韓国の領土であることを明らかにした事実を理解することができる。
 
思考を開く
日本は近代に入り、鬱陵島と独島を手に入れようとし始め、日本の地籍に独島を含ませようとしたが、太政官は「二島は日本とは関係ないためその点を心得ること」と指令した。太政官指令の持つ意味は何だろうか?
 

1870年の日本外務省の報告書

日本は1868年、「明治維新」を断行し、封建国家から近代国家への転換を推進した。また、鎖国体制から開国体制へと転換した日本の新政府は、朝鮮と新しく国交を結ぼうと、1869年12月に外務省官吏を派遣して朝鮮の事情を探った。この時、調査するよう指示した内容は、全部で14項目であった。
調査後に提出した報告書「朝鮮国交際始末内探書」(1870年)には、「竹島(鬱陵島)と松島(独島)が朝鮮の付属になった経緯」という題で、鬱陵島と独島に関する内容が記録されている。この報告書は、日本が「松島」すなわち独島を朝鮮の領土だと認めていたことを示している。
報告書「朝鮮国交際始末内探書」の中の「竹島と松島が朝鮮の付属になった経緯」の内容は次の通りである。
(この件は)松島(独島)は竹島(鬱陵島)の隣にある島で、松島の件に関しては、これまで残っている記録がありません。竹島の件に関しては、元禄(安龍福事件当時の日本の年号)年間以降、しばし朝鮮から居留のために人を派遣してきたことがありますが、当時は以前のように人がいませんでした。竹または竹よりも大きな葦が育ち、人参などが自生しています。その他に、魚も非常に多いと聞きました。
「朝鮮国交際始末内探書」
zoom
 

独島を朝鮮の地として認めた太政官指令

「磯竹島略図」• 磯竹島(鬱陵島)から朝鮮を眺めると北西の方向にあたり、海上で約50里程度
• 松島(独島)から磯竹島(鬱陵島)までは北西方向に約40里程度
• 隠岐の島の東郷福浦から松島(独島)までは北西方向に約80里程度
zoom
太政官指令
zoom
近代化を進めていた日本は 廃藩置県を断行し、続いて内務省は1876年に日本全域の地籍を編纂する作業を進めながら、島根県に「竹島(鬱陵島)」についての記録と地図などを提出するよう要請した。これに対し、島根県は「磯竹島略図」を添付し、あわせて地籍図に「竹島(鬱陵島)外一島」を日本の領土として登載しても良いかについても問い合わせた。「磯竹島略図」には「松島(独島)」から「磯竹島」までの距離が40里となっており、二つの島が鬱陵島と独島であることを物語っている。
内務省は、これに基づき二島は日本領ではないと結論づけたが、領土に関する重大な決定であるため、 太政官が最終決定を下すよう要請した。これに対し、太政官は島根県の文書と地図を調査した末、1877年3月29日に「竹島とその外一島に関する件は、本邦(日本)と関係なしと心得ること」という、俗にいう「太政官指令」を下した。
この指令は、日本政府が独島は日本の領土ではないと認めた公式文書である。
日本の一部の学者たちは、太政官指令に出てくる「竹島外一島」の「一島」は独島のことではないと主張しているが、「磯竹島略図」に磯竹島外一島が松島だと表記されており、「一島」とは「松島」、すなわち独島のことであることがはっきりと示されている。
活動 1
鬱陵島と独島は日本と関係がないと認めた日本政府の公式文書を何と呼ぶのか、そしてその意味は何なのか考えてみよう。
 
活動 2
太政官指令に出てくる「竹島外一島」の「一島」とはどこを指すのか調べてみよう。
 

近代期の朝鮮政府の鬱陵島開拓

朝鮮政府は17世紀後半から19世紀後半まで、定期的に捜討官を送り、鬱陵島とその周辺の島を点検させた。捜討官は島に住む住民たちを連れ戻したが、それでも人々の往来が絶えずあり、日本人も密かに木を伐採したりアワビを採取したりしていた。1880年代初め、日本人が鬱陵島に「松島」と書いた立て札を立てたという事実を知った朝鮮政府は、鬱陵島開拓の可能性について調査した。
「鬱陵島観察日記啓草本」出典 : 東国大学校 イ・ヘウン
zoom
㋑ 「鬱陵島外図」、 ㋺ 「鬱陵島内図」
zoom
1882年4月、高宗は 李奎遠に鬱陵島観察使の官職を与え、鬱陵島とその周辺の島を調査するように命じた。当時、鬱陵島には朝鮮人が141人、日本人が78人ほどいた。李奎遠は100人を越える随員と共に調査した後、結果報告書形式の「鬱陵島観察日記啓草本」と、鬱陵島の地図である「鬱陵島外図」、および「鬱陵島内図」を高宗に献上した。
李奎遠の報告を受けた高宗は、鬱陵島の開拓を命じ、1883年から住民が正式に移住し始めた。政府は開拓民の税金を免除し、舟を作ることを許可するなど、優待政策を実施して移住を奨励する一方、金玉均を「東南諸島開拓使」に任命し、鬱陵島とその周辺の島の開拓を担当させた。当時、二度に渡って鬱陵島に入った開拓団は、合計16世帯、54人であった。彼らは生活に必要な物資と食糧、牛二匹、武器などを持参して行った。このような措置は、朝鮮政府が鬱陵島を始めとする周辺島嶼に対し、本格的な管理を始めたことを意味する。

大韓帝国期の鬱陵島と独島

鬱陵島の開拓民が徐々に増え、鬱陵島にやって来る日本人も増えると、彼らを管理する問題が発生した。政府は鬱陵島に 島監を置いて管理したが力が及ばず、特に日本が1895年に清国との戦争に勝利してから、より多くの日本人が入って来るようになり、多くの弊害が発生した。このため、大韓帝国政府は日本政府に要求して共同調査団を構成し、鬱陵島の現況を調査した(1900.5.31~6.5)。大韓帝国政府から派遣された官吏の禹用鼎は調査後、日本人の速やかな撤収と船舶の購入、そして鬱陵島の官制の改編を上部に提案した。
㋑ 大韓帝国勅令第41号、 ㋺ 勅令第41号が掲載された官報㋑ 第2条 郡庁所在地は台霞洞とし、区域は
鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
zoom
これにより、大韓帝国は勅令第41号(1900.10.25)を下し、鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正した。また、鬱島郡守が管轄する地域として「鬱陵全島、竹島、石島」を規定した。ここでいう「竹島」とは、鬱陵島のそばにあるテッソムを指し、「石島」とは独島のことを言っている。高宗皇帝の命令である勅令第41号は、1900年10月27日付「官報」(第1716号)に掲載され、鬱陵島と独島の領有権を近代法的に明らかにした。

勅令第41号の石島

勅令第41号の「石島」とは独島のことを意味する。勅令に出てくる「鬱陵全島」は、鬱陵島および鬱陵島と接している観音島を指し、「竹島」は鬱陵島のすぐそばにあるテッソム、「石島」は独島のことを指している。当時の鬱陵島の住民たちは、独島のことを「ドクソム」と呼んでいたが、「ドク」とは「トル(石)」の方言である。すなわち、ドクソムとはトルソム(石島)のことである。トルソムは、その意味を漢字で表記すると「石島」となり、発音をそのまま表記すると「ドクト(独島)」となる。したがって、トルソム → ドクソム → 石島 → 独島は全て独島の名称として使われていたのである。
活動 3
勅令第41号の「石島」がなぜ「独島」なのか考えてみよう。
 

独島の名称の変化

地名と同様、島の名前も文字で表記されることにより、人々の混乱や新しい情報の流入により変化する。

于山島『太宗実録』(1417年)に初めてこの名称が登場する。子山島、千山島、方山島、干山島などとも表記されたが、これらはすべて「于」という文字を、他の似た漢字に誤って書き写したことから起こった現象である。
三峯島朝鮮時代の成宗の時、三峯島という別の島があるという報告が上げられたことがある。調査してみると、この島は鬱陵島または独島を指す場合があった。三つの峰が見えるとして三峯島と呼ばれたが、鬱陵島も峰が三つに見える。
カジ島(可之島、可支島)朝鮮時代の正祖の時、独島に嘉支魚(カジ魚:アシカ)という魚が発見されたとしてカジ島(可支島)と呼ばれた。「カジ」の漢字が異なるのは、アシカの韓国固有の呼び名である「カジェ」を漢字で表記する過程で変わったものと思われる。
石島、トルソム、ドクソム1900年の大韓帝国勅令第41号に見られる呼称で、石島を韓国語で訓読みすると「トルソム」になる。「トル」を鬱陵島の方言で「ドク」とも言うため、「ドクソム」とも呼ばれた。これを再び漢字で書こうとする過程で、ドクソムの「ドク」が同音の「独」になり、独島となった。
独島日本の記録には1904年に現れるが、韓国の文献には1906年の沈興澤の報告書に初めて登場する。現在、独島のローマ字表記は「Dokdo」である。

 
明治維新
19世紀、江戸幕府を崩壊させ、天皇中心の近代的な政権を立てた変革の過程
닫기
廃藩置県
1871年、日本の明治政府が江戸幕府の統治組織であった藩を廃止し、中央政府が統治する府県を設置したこと
닫기
磯竹島
竹島と同じく鬱陵島を指す。
닫기
太政官
明治時代初期の日本の国家最高機関
닫기
李奎遠
朝鮮時代末期の武臣。鬱陵島の検察使として鬱陵島を巡察した後、『鬱陵島観察日記』などを残した。
닫기
東南諸島開拓使
高宗が鬱陵島とその周辺の島嶼を開拓するために置いた官職
닫기
島監
1882年の鬱陵島開拓令以降、鬱陵島の住民の中から島長を任命して管理していたが、数回に渡る変化を経た後、1895年に専任島監制に変更した。
닫기
List Korean English Chinese Japanese Top
페이지 상단으로 이동하기