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我が永遠の領土、独島(中学生用)


探究学習2


朝鮮時代後記の地図と独島[教え方の説明]

資料1
18世紀に制作された鄭尚驥の『東国全図』を19世紀にそのまま写して描いた地図なの。鬱陵島の東に独島(于山)が描かれているのよ。
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資料2
18世紀末に制作された『輿地図』に収録された「我国総図」という地図だよ。華やかな色が目を引く地図なんだ。鬱陵島の東側に独島(于山)が描かれていて、島の中に山の峰も描かれているんだ。
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探究学習2
1.資料1、資料2の地図と朝鮮時代の初期に制作された『新増東国輿地勝覧』の中の「八道総図」を比較し、鬱陵島と独島の位置と形がどのように変わったのか話してみよう。[答え]
 
資料3
1850年代に作られた『海左全図』だよ。この地図では鬱陵島の東に独島(于山)が描かれていて、陸地から鬱陵島までの水路も示されているんだ。
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資料4
金大建(1822~1846)が作った『朝鮮全図』をフランス人が模写した地図よ。地名と一緒に、その地名の発音をフランス語でも表記して西洋に紹介した最初の地図なの。その後、6ヶ国語に翻訳されて、韓国の領土である独島を西洋に広く紹介したのよ。
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2.資料3 地図で陸地から鬱陵島までつながっている水路の表示を探してみよう。[答え]
3.資料4に示された「Oulengto」と「Ousan」は何を意味しているのだろうか?[答え]
 

 
教え方の説明
朝鮮時代後期の大縮尺地図の発達に決定的な貢献をした地図学者は鄭尚驥(1678~1752)である。彼は百里尺を使用して『東国全図』を制作したが、この地図は朝鮮時代の地図制作水準を一段階高めた地図として評価されている。鄭尚驥の地図から、于山島は今日と同様、鬱陵島の東南の正しい位置に示されるようになった。18世紀末、正祖の代に制作された『輿地図』の中の「我国総図」も鬱陵島の東に于山島が描かれている。『海左全図』は鄭尚驥の地図を基に1850年代に制作された小型の木版本朝鮮全図である。木版本朝鮮全図の制作と刊行は、当時の地図に対する需要の多さを示しているが、この地図には陸地から鬱陵島までの水路も示されている。
金大建(1822~1846)が近代的な作図法により作った地図である『朝鮮全図』をフランス人が模写して制作した地図にも、独島が鬱陵島の東に正確に描かれており、地名は韓国の発音をそのまま表して、鬱陵島は「Oulengto」と、独島は「Ousan(于山)」と表記されている。韓国の発音で西洋に紹介された最初の地図で、1849年にフランスのリヨン『地理学会』に縮小して収録され、6ヶ国語に翻訳され韓国の領土である独島を西洋に広く紹介した。
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答え
1.朝鮮時代の前期に作られた「八道総図」では、独島が鬱陵島の西に描かれていたが、朝鮮時代後期に作られた鄭尚驥の『東国全図』からは独島(于山島)が鬱陵島の東に正確に表現されている。
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答え
2. 『海左全図』を見ると、鬱陵島から陸地まで線がつながっているが、これが水路を示したものである。
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答え
3. 『朝鮮全図』に示された「Oulengto」と「Ousan」は、韓国の発音のまま、それぞれ「鬱陵島」と「于山(独島)」を表したものである。
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