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我が永遠の領土、独島(中学生用)

思考を開く
※ 大韓帝国が勅令第41号を頒布した背景を調べてみよう。 [教え方の説明]
竹島には幹の太い木がたくさんあるなあ!
この木で船を作って、この周りの魚を捕まえたらどうだろう?
そうだな! この島には誰も住んでないようだ。ヒヒッ! 安心して全部捕ってしまえ!
陛下! 日本の漁夫たちが鬱陵島と独島に我が物顔で出入りしているそうです。
どうして日本の漁夫たちが韓国の領土をむやみに侵犯するのか!
今すぐ官員を派遣して鬱陵島と独島の状況を調査し、報告するように!
視察官の禹用鼎を送って、今回の事態を解決するようにいたします。陛下!
禁令-木を切って船を作ってはならない
-鬱陵島の物は鬱陵島の船にだけ載せて運搬すること
1900年10月25日
鬱陵島を鬱島郡に昇格させ、石島も管轄させるように!
陛下! 御意の通り施行いたします。
zoom
1.上の内容の中で、「竹島」と「石島」は今のどの島を指しているのか?[答え]
①竹島-(  )
②石島-(  )
 

 
教え方の説明
〈思考を開く〉で示された漫画は大韓帝国勅令第41号が頒布された当時の状況をおもしろく表現したものである。上の二つの場面は、当時の鬱陵島と独島で展開されていた状況を表現したものである。漫画では具体的に表現していないが、その当時の状況を記録した文献を見ると、日本人が鬱陵島に居住していたことがわかる。そして、日本人は鬱陵島の大きな木々を切って本国に送ったり、鬱陵島と独島周辺の海で違法に魚を捕るなどしていた。
このような状況を当時の鬱陵島の島監であった裵季周が内部大臣の李乾夏に幾度も知らせ、李乾夏は高宗にこのような状況を報告して、鬱陵島に対する視察官派遣の裁可を受け、内部視察官鬱島視察委員の禹用鼎を鬱陵島に派遣した。
禹用鼎は「鬱陵島居留日人事件(鬱陵島の居留日本人事件)」に関する報告書で、1900年前後の日本人の鬱陵島「違法居住」と「伐木」をめぐる韓国と日本の対立を生々しく報告した。禹用鼎は1900年6月1日に「内部大臣の訓令により鬱陵島に派遣された」と鬱陵島の住民に告示した。また、禹用鼎は1900年6月3日に鬱陵島の官民に「政府の禁令を遵守すること」を告示した。
告示内容は 1) 本国人、外国人を問わず、伐木して造船することを禁止し、2) 法を犯した民衆が日本人と協定を結んでケヤキを伐木することを禁止すること、3) 船舶を購入して海運と貿易に活用すること、4) 鬱陵島の物産を全て鬱陵島の船舶でのみ貿易するようにすること、5) もし外国船舶に積載する場合、その物貨は全て鬱陵島会社の所有とすること、などであった。
その後、大韓帝国と日本政府の間で幾度も外交交渉の駆け引きがあり、このような背景の下で1900年10月25日に大韓帝国勅令第41号を通して「鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正すること」を公布した。勅令第41号2条では、鬱島の管轄範囲を「鬱陵全島と竹島、石島」と規定した。
本文は各文献別に小題目をつけて該当する内容を区分するようにした。近代以降に作られた文献を時代順に示しながら、韓国の独島領有権の主張が妥当であるという点が理解できるようにした。26ページには日本による独島の違法侵奪に対する内容を示すことにより、韓国と日本の主張を互いに比較できるようにした。
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答え
①鬱陵島、②独島
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