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  • 独島は韓国領土
1. 日本の古文献と古地図が証明する、韓国の独島領有権
幕府撰慶長日本地図(西日本部分)(1640)江戸幕府が作った官撰地図、日本の北西側の限界は隠岐島になっている。残りの4枚の官撰地図も同様である。江戸幕府は独島を朝鮮の地として認めていた。
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17世紀~19世紀中頃まで、独島は日本では松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。日本における独島に関する最も古い記録は、『隠州視聴合紀』(1667)である。この文献は、出雲国(現在の島根県の一部)の管理人だった斎藤豊仙が、隠岐国の郡代として見聞きした内容を記したものである。この文献の中で、斎藤は鬱陵島を貿易船が向かう地と同じ島、すなわち異国の地と認識し、「村川(鬱陵島を往来した商人)氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島(=竹島、鬱陵島)へ致す」と記している。
『隠州視聴合紀』では「日本の乾地(=北西の地)、この州を限界とする(日本ノ乾地以此州為限矣)」と記し、隠岐国を日本の北西の限界とした。そして、江戸幕府は5回に渡って日本地図を作った。そのうち4回目までは各地方の地図を作らせ、その集大成として日本全図を作り、最後は伊能忠敬に対し、実測による日本地図を作るよう命令したのである。しかし、江戸幕府が作った5枚の官撰地図では、全て独島を日本の領土として表示していない。
『隠州視聴合紀』国代記資料説明:〈戌亥(北西)の間、二日と一夜行けば松島(現在の独島)がある。また一日の行程のところに竹島(鬱陵島)がある。この二島は無人の地であり、高麗(朝鮮)を見ることは雲州(出雲、現在の島根県の一部)から隠州(隠岐島)を見るのと同じである。すなわち、日本の北西の境界はこの州(隠州=隠岐島)を限界とする。〉
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