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正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

高麗の高句麗継承論議

  • ▶ 高麗は高句麗を継承する国ではない。
  • ▶ 中国人も高麗が高句麗の継承国であると記録している。
▼ 将軍塚の全景
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中国の学界では、高句麗史と韓国史との継承関係を遮断するために、高朱蒙が建てた高句麗と王建が建てた高麗は名前が似ているだけで、互いに継承関係のない別の国の歴史であるとしている。高句麗は今日の中国人の先祖が建てた中国の歴史上の国だが、高麗は今日の韓国人の先祖である新羅の末裔が建てた国であるというのだ。そして、『宋史』の編纂者が高句麗を継承した国は高麗であると記録したこと自体、間違った認識から生まれた誤謬であると主張している。
しかし、高麗は高句麗を継承した国であることを国号で表し、建国初期から高句麗の首都であった西京(平壌)を重視して北進政策を推進した。高麗の人々は、高句麗の末裔であることを誇りにしていた。徐熙将軍が契丹の将軍・蕭遜寧と談判し、契丹が高麗の先祖である高句麗の地を占領していることをこと細かく批判して契丹軍を撤収させたという逸話は、高麗人の高句麗継承意識を示すものである。
高麗は、前王朝の歴史として、高句麗・百済・新羅の歴史をまとめた『三国史記』を編纂した。高麗人にとっては、高句麗史が高麗の先代の歴史であることが常識だったわけだ。このような常識は歴代中国の歴史学者らも持っており、1345年に編纂された『宋史』に高句麗-高麗への継承関係を記述し、その後の歴史書もそれに従っていた。そして、中国の正史では終始高句麗史を外国列伝として扱っていた。しかるに、今になってその末裔たちが政治的な目的から先祖が叙述した歴史書までも否定し、常識を変えようとしている。
韓国は高麗、すなわちコリアである。高麗が復興させて受け継いだ国号を今もその子孫が使用しているのだ。古今東西を問わず、関わりのない他国の国号を受け継ぐケースはない。高句麗史が韓国史に属するという事実は、コリアという国号だけを見ても充分に立証できるものである。

 
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