• 東海の中の独島
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1945年8月15日、日本の植民地支配からの解放後、独島は駐韓米軍政に移管され、1948年8月15日の大韓民国政府の樹立と共に返還された私たちの領土である。第二次世界大戦が終盤に差し掛かった1943年11月、エジプトのカイロで開催された会談で3ヶ国の首脳が署名したカイロ宣言は、日本が「暴力および貪欲により奪取した一切の地域から撤退すべし」とし、また「韓国国民が奴隷状態であることに留意し、韓国を自由かつ独立した国家とする決意を有する」という内容であった。
1945年7月26日のポツダム宣言は、第8項に「カイロ宣言の条項は履行されなければならず、また日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国が決定する小さな島々に局限される」とすることで、独島を日本の領土から除外した。その年の8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し、9月2日に降伏文書に署名した。
米軍政下にあった1946年1月29日、連合軍総司令部は東京においてSCAPIN 第677号を発令し、日本の独島に対する政治上または行政上の権力行使を停止し、日本の統治範囲を4つの大きな島(本州、北海道、九州、四国)と約1千個の小さな隣接する島々に規定した。続いて第3項では、日本の領土から除かれる島々として、鬱陵島、独島、済州島を列挙した。この指令に添付された地図により鬱陵島と独島が韓国の領土であるということをより具体的に確認することができる。そして、1946年6月22日にはSCAPIN第1033号を通じて日本の漁船の操業区域を規定したマッカーサーラインを設置し、独島への日本の接近を禁止した。その後、1948年8月15日に国連の決議によって大韓民国政府が樹立されるに伴い、独島は朝鮮半島の付属島嶼として回復し、現在に至っている。

 
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