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深化学習


安龍福事件以降、于山(独島)に関する知識が増加

『増補文献備考』
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安龍福事件以降、朝鮮政府は鬱陵島だけでなく、于山島についても詳しく知るようになり、これは朝鮮時代後期の官撰史料に反映された。『世宗実録』と『新増東国輿地勝覧』に続いて、于山島に関する知識は『東国文献備考』、『萬機要覧』、『増補文献備考』などにつながり、そこには于山島のことを日本が松島と呼んでいるという事実を記録し、于山島が独島であることを明らかにしている。下記の史料は全て同じ内容で記述されている。

『東国文献備考』(1770年)『萬機要覧』(1808年)『増補文献備考』(1908年)
『輿地志』には、「鬱陵と于山は共に于山国の地であり、于山は正に倭人たちが言うところの松島である」と書かれている。『輿地志』には、「鬱陵と于山は共に于山国の地であり、于山は正に倭人たちが言うところの松島である」と書かれている。『輿地志』には、「鬱陵と于山は共に于山国の地であり、于山は正に倭人たちが言うところの松島である」と書かれている。

単元のまとめ

1. 独島について記録した最も古い韓国の史料は『三国史記』である。そこに于山国の話が出てくるが、この于山国には鬱陵島と独島が含まれている。史料では独島は于山島となっている。朝鮮時代の後期になると、于山島(独島)に関する情報がより具体的になり、日本では于山島を松島と呼んでいるという事実も把握していた。
2. 朝鮮時代の後期、独島の領有権確立に大きく寄与した人物として安龍福を挙げることができる。安龍福は1693年と1696年の二度にわたって日本に渡り、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であることを主張して戻ってきた人物である。初めて日本に行ったのは、鬱陵島で漁労作業をしていたときに、日本の漁夫たちに拉致されたためであった。この時の拉致事件がきっかけとなり、朝鮮は鬱陵島に対する関心を積極的に示し始め、日本は二つの島がどちらの国により近いのかを調査し、1696年に日本の漁民の出漁を禁止する「竹島渡海禁止令」を下した。
3. 韓国の多くの古地図に于山島(独島)が描かれているが、朝鮮時代の初期には鬱陵島の西側に描かれていた。二つの島が描かれており、当時、朝鮮がこれらの島の存在を認識していたことがわかるが、二つの島のうちの一つである于山島を現在の竹島(テッソム)だとするには無理がある。日本は于山島を現在の竹島(テッソム)だと主張しているが、竹島は鬱陵島のすぐそばにあり、曇った日でもよく見えるため、その位置を誤って描くということは考え難いためだ。朝鮮時代の後期になると、于山島の位置は鬱陵島の東側に小さく描かれるようになる。一方、日本の古地図にも鬱陵島と独島を描いた地図があり、ほとんどは朝鮮の近くに描き、朝鮮と同じ色を塗って、朝鮮の領土であることを表している。

用語のまとめ

捜検政策、安龍福事件、「竹島(鬱陵島)渡海禁止令」、竹島、松島、「三国接壌之図」、竹島(テッソム)

 
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