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日本の明治産業遺産

歪曲される現場と隠蔽された真実

金漢洙 | 1944年、黄海道延白から強制動員 | 2006年2月17日、証言
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金漢洙(キム・ハンス)さんは、1918年、黄海道の延白(ヨンベク)郡、延安(ヨンアン)邑で生まれました。一人息子は徴用に行かなくて済むと聞き、延白の専売会社で仕事をしていました。1944年8月26日に徴用の通知を受けました。180人ほどが延安駅から釜山を経て、三菱長崎造船所に連行されました。最初に収容された宿舎は幸寮といい、粗末な木造で、中央に通路があり、両脇に寝る場所がありました。教練ののち、2キロほど離れた三菱の福田寮に移されました。
朝、6時に起床し、夜10時に就寝しました。銅工場で鉄管に砂を入れてハンマーで固め、ガスの火で熱して曲げる作業をさせられました。仕事中に左足指を骨折したのですが、病院の医師はヨーチンを塗り、工場に返しました。その後、亜鉛鍍金のメッキ工場に移され、地下の窯に石炭をくべる仕事をさせられました。徹夜が繰り返される職場でした。月給は小遣い程度支給され、他の金は故郷の家族へと送金するということでしたが、のちに故郷で確認したところ、受け取っていませんでした。食事は、豆油粕に米を少し入れて炊き、さつまいもの蔓を茹でて汁にしたもので、とても腹が減りました。毎日、故郷の父母と家族を思い、生きて必ず会うことを心に誓い、生き抜きました。
8月9日、空襲のサイレンが鳴り、突然、真っ青な光が窓からパッと入り、体が浮かび、ドスンと落ちました。顔にやけどして話すことができずに手を握って泣くばかりの者、口が裂けて竹を口にかませて重湯を飲ませた同郷の者の姿は、今でも忘れられません。帰国することになり、10月28日の朝、釜山に到着しました。
- 『我が身に刻まれた八月 広島・長崎強制動員被害者の原爆体験』日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会、2008年、318~349ページ
 

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