• 東海の中の独島
  • 歴史の中での独島
  • 独島は韓国領土
2. 韓国の古文献と韓国の古地図が証明する韓国の独島領有権
世宗実録地理志(1454)巻153、江原道三陟都護府蔚珍県条〈于山、武陵の二島は県の東の海中にある。二島は互いに距離が遠くなく、天気が良ければ見ることができる。新羅の頃、于山と称した。〉:于山島と武陵島(鬱陵島)を于山国と言い、天候が良ければお互いに見ることができると記述している。すなわち、于山は間違いなく独島である。
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独島が韓国の領土であると記録されている、最も古い文献は三国史記である。これによると、512年の新羅の異斯夫(将軍、王族の一員であった)が于山国を討伐し、服属させたと記録されている。その当時の于山国とは、現在の鬱陵島と独島からなる国のことである。朝鮮王朝の官撰史記である『東国文献備考』(1770)には「鬱陵、于山は共に于山国の地。于山とはすなわち、倭が言う松島だ」と記録されている。その後、朝鮮王朝の官撰書と地図には独島が朝鮮の地として記録されている。松島とは、当時の独島の日本名である。『世宗実録地理志』(1454)には「于山、武陵の二島は県の東の海中にある。二島は互いに距離が遠くなく、天気が良ければ見ることができる。新羅の頃、于山国と称した」と記録されている。この于山国と武陵島(鬱陵島)は、現在の独島と鬱陵島である。そして、ここでも二島を于山国と記録している。その他、朝鮮王朝は『粛宗実録』(1728)、『彊界考』(1756)、『萬機要覧』(1808)、『増補文献備考』(1907)などの官撰書に「鬱陵・于山は共に于山国の地、于山はすなわち倭が言う松島」と記録している。
海左全図于山島が正確な位置にあり、独島の東島、西島にある山の峰が2つはっきりと描かれている。山がない現在の竹島(鬱陵島の東側2kmの距離にある島)とははっきりと区別される。
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朝鮮政府は僉使(朝鮮時代の武官)張漢相の一行を鬱陵島の調査のために派遣した。一行は、鬱陵島を調査する過程で独島の存在を確認し、『鬱陵島事蹟』(1694)に記録した。朝鮮の地図に于山島(独島)は朝鮮の地として示されている。『新増東国輿地勝覧』(1531)の付図「八道総図」には、東海に鬱陵島、于山島(独島)の二島が描かれているが、位置が入れ替わっている。しかし、時代が流れるに従い、于山島の位置は鬱陵島の東に正確に描かれるようになる。代表的な地図としては〈海左全図〉がある。この地図は于山国に山の峰を2つ描き、于山島が独島であることを正確に表現している。

 
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