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我が永遠の領土、独島(中学生用)

思考を開く[教え方の説明]
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多くの少年少女に広く読まれている小説『宝島』は、イギリスの作家スティーヴンソンが書いた冒険小説である。この小説は、ある少年が伝説の海賊船長の残した一枚の宝物地図を手に入れた後、これを持って宝物を探しに行く旅を興味深く描いたものである。小説の最も重要な素材が、この宝物地図である。地図がなければ宝島に行くこともできず、たとえ行ったとしても、宝物が埋められている正確な位置を探す事ができないからだ。
このように、地図は我々がよく知らない場所の情報を提供し、道案内をしてくれる。歴史を調べてみると、歴代のいかなる国も、国が作られるとその国の領土を確認し、これを地図にする作業を進めている。また他国を侵略するに先立ち、その国の内部事情をひそかに調べ、地図を作ったりもした。したがって、韓国で作られた昔の地図を見ると、我々の先祖が韓国の領土をどこまでと認識していたのかがわかる。また、韓国を侵略するために外国で作られた地図を確認すると、その当時の韓国の領域がどこまでだったのかに関しても容易に確認できる。
1. 日本はいつから韓国の地図を作り始めたのだろうか?[答え]
2. 日本はどこまでを韓国の領土として描いていたのだろうか?[答え]
3. 日本が独島を自国の領土と表記し始めたのはいつからだろうか?[答え]
 

 
教え方の説明
まず、導入部の〈思考を開く〉では、小説『宝島』を紹介し、地図の価値と意味について理解できるようにした。地図にはその当時の人々の国土観と世界観が反映されている。そのため、韓国の地図だけでなく日本の地図を検討することで、逆に韓国の主張の正確性と正当性を立証できるということを理解できるようにした。
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答え
1.日本がいつから韓国の地図を描き始めたのかについては正確にはわからないが、現在残っている資料を見ると、7世紀の奈良時代に日本列島を回って布教していた日本の僧侶、行基が作った日本図が最初だと言える。日本最初の全国地図であるこの地図には、鬱陵島と独島は雁が休んで行く所だという意味で雁道と表記されており、人が住んでおらず、新羅の地だという解説が記録されている。
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答え
2.朝鮮半島を比較的詳しく描いた日本地図は、壬辰倭乱(文禄の役)の時に既に制作されていた。当時、豊臣秀吉の命令で九鬼などが制作したとされる『朝鮮国地理図』には、鬱陵島と共に独島を于山島と表記している。独島を韓国の領土だと示した日本最初の地図だと言える。
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答え
3.日本は1905年の島根県告示で独島が日本の領土として公式的に編入されたと主張しているが、寧越郡のホヤ地理博物館に所蔵中の1941年の島根県分県地図には独島が示されていない。島根県は2005年の条例で「竹島の日」も決めた。しかし、この博物館が島根県の地図と共に公開した1939年の朝鮮一覧慶尚北道管内図には、独島と鬱陵島が一緒に描かれている。独島は、日帝強占期(日本の植民地時代)から1950年代までの間、全世界の地図に竹島として頻繁に登場したが、幸い1970年代以降には韓国の島、独島と修正された。日本が独島を自国の領土として表示し始めたのは1950年代以降で、比較的最近のことである。
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