Title | 安岳3号墳 | ||
---|---|---|---|
安岳3号墳は、黄海道安岳邑から7km離れた龍順面俞順里村西北の丘陵頂上段に位置する。徳興里壁画古墳と共に高句麗壁画古墳の中で年代が分かっている唯一の墓で、墓の中から発見された墨書銘(墨で書いた銘文)によって墓の築造年代が357年頃であったことが分かった。墓は、墓道、羡道(ノルギル)、前室(アップバン)、前室左右の側室(キョッバン)、玄室(ノルバン)と、玄室をㄱ字型に囲んでいる回廊で構成された複雑な構造である。この墓は、回廊に描かれた大規模な行列図と墓の主をめぐる長年の論争でも有名である。
壁画は、石壁の上に直接描かれたものが大部分である。石材としては玄武岩と石灰岩が使用されており、すべて精緻に形を整えて築き上げられている。壁画を構成する主題は、生活風俗図である。墓主夫妻の肖像画をはじめ、大規模な行列図、厨房や馬小屋などを表現した室内住居図、相撲や歌舞のような遊びの場面、門衛、そして蓮花、鬼面や怪雲紋などの多様な装飾紋様が壁面を華やかに装飾している。
壁画の内容を見ると、まず羡道の左右の壁には、槍と盾を持って立っている儀仗隊列が描かれている。赤線で輪郭を処理した黒い盾と、赤い毛飾りのついた槍は、今も鮮明に残っているが、武士の姿は痕跡を見つけるのが難しい。このように、墓の入口外側の羡道に儀仗隊列を配置しているのは、安岳3号墳だけである。
前室石門入口の東西両側の壁には、儀仗隊列と楽隊をそれぞれ上下二段に描き入れられている。花蓋、旗、節、斧鉞を持った儀仗隊列の人物たちは、墓主に礼儀を示すかのように腰を少し曲げた状態で入口を向いており、西壁の角笛や太鼓を演奏する楽隊もすべて入口を向いている。色彩は赤、黒、緑を基調とし、赤線の下絵の上に黒線をさらに描き入れて絵を仕上げている。特に、角笛を吹く人物を見ると、細い赤線で下絵を描いて彩色した後、黒線で輪郭を完成させたことが確認できる。墓主夫妻肖像が描かれた西側室の入口両壁には、帳下督の身分の武士二人が互いに向き合いながら立っている。各人物の頭上には銘文が書かれていたが、現在は左側に書かれた銘文だけが残っている。墓主の肖像は、西側室の正壁すなわち西壁に描かれている。平床の上に端座した姿の墓主は、白羅冠に赤の華やかな絹の服を着ており、左右それぞれに男性侍従二人を従えている。墓主夫人の肖像は南壁に描かれており、墓主の方に体を少し向けて座っている姿勢で描写されている。華やかな髪飾りに花柄の絹の服で着飾った夫人の左右にも、側に仕える侍女たちが見える。この墓主夫妻肖像は、安岳3号墳の多くの壁画の中で、最も精緻で洗練された技法で描かれている。墓主夫人の向かい側すなわち西側室の北壁は、壁画が確認されていないが、東壁に位置する入口の左側には、門衛一人が両手を恭しく前で組んだ状態で入口を向いて立っている。四面の壁体のすぐ上に置かれた梁には怪雲紋装飾が見られ、三角支え天井の中央には赤い蓮花が咲いている。
西側室向かい側の東側室の入口右側の壁には、手搏戯の場面や斧鉞手たちが上下二段に分けて描かれている。手搏戯の場面に登場する壮丁たちの顎鬚は、細い線で一本ずつ表現された細密な姿を見せてくれる。左側の壁はまさに回廊が始まる地点である。200人以上が登場する大規模な行列図がここから始まる。
東側室の内部は、四面が粉ひき場、井戸、厨房、肉庫、車庫、牛小屋、馬小屋などで、どの壁にも隙間なく装飾されている。肉庫の屋根の中央には、鳥が正面を向いてとまっている姿が微かではあるがはっきりと確認でき、厨房と車庫の屋根の上にも赤いくちばしの黒い鳥がとまっている姿が確認できる。
前室北側には四本の柱が設置され、玄室との境界線の役割を果たしている。柱の柱頭正面と側面には、鬼面紋と蓮花がそれぞれ装飾されている。玄室では、西側壁、梁、天井にだけ壁画が見られる。西側壁には、楽器を演奏する人々とその拍子に合わせて西域の踊りを踊る胡人が登場する。梁には雲紋装飾が見られ、天井の真ん中には西側室の天井よりも華やかに大きく描かれた赤い蓮花が満開になっている。
回廊は玄室をㄱ字型に取り巻いている。行列図は東側回廊に登場する。俯瞰図で表現された行列図は、墓主の高かった身分を反映するかのように、規模が膨大であり、全体が非常に荘重な雰囲気を演出している。墓主が乗った車は行列の後ろで登場し、墓主のすぐ前には黒い旗を持った人物が行進している。旗には、赤ではっきりと「聖上幡」という文字が書かれている。回廊の北側下の壁には、殿閣図が描かれている。
安岳3号墳の壁画の彩色は、黒、白、赤、緑を基調としており、その制作技法としては、赤線の下絵の上に黒線をさらに使って輪郭を仕上げている。
壁画の内容から分かるように、安岳3号墳はまるで高句麗時代の邸宅生活の一断面を墓の中に再現したかのようである。複数の部屋がある墓の構造やその中に描写された壁画の内容が、あたかも実際の家屋の中で生活する姿を移し置いたように、非常に驚くべき組み合わせを見せている。このように安岳3号墳は高句麗人の実際の生活の様子を多様に反映しているだけでなく、高句麗人の政治、文化、思想などを理解し、研究する上でも、非常に重要な資料的価値を有する誇るべき文化遺産である。