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『20年間の水曜日』は2010年11月現在、20歳の誕生日を迎えた韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)の活動記録である。現挺対協常任代表である尹美香(ユン・ミヒャン)が著述した。
本の内容は大きく3つの部分で構成されている。日本軍「慰安婦」の歴史、挺対協の結成過程と活動内容、戦争および武力葛藤下での女性に対する暴力問題と「慰安婦」問題解決の意味、である。間には〈ハルモニと私〉、〈水曜デモ参加記〉というタイトルで挺対協活動参加者の参加記録を収録した。
プロローグに該当する最初の章、〈水曜デモ、私たちは皆、つながっている〉は、挺対協活動の中心とも言える水曜デモの現場スケッチである。相変わらず鉄門を固く閉ざしている日本大使館、道を塞いでいると文句をいう無関心な通行人たちを前にして、20年以上続けられてきた水曜デモの力について記録した。ハルモニになって私たちの前に現れた日本軍「慰安婦」の被害生存女性たち、水曜デモに参加するために海を越えてやって来た海外に住む人たち、未来を作っていく学生たち、挺対協の活動家たちと共に毎週水曜デモに息を吹き込む人々だ。「ハルモニ」たちを慰めるためにやって来て、むしろ勇気をもらって行くと語るある青年の話は、水曜デモの現場が過去の問題を解決するだけでなく、現在を癒し、未来を作っていく力を持つ空間であることに気づかせてくれる。責任意識と期待感から、喜んで次の章を読みたくなる導入部である。
それに続く章である〈美しい名称と汚い名称〉、〈13歳の夢多き少女に何が起きたのか〉は、日本軍「慰安婦」の歴史について説明する文章である。
著者はまず、呼び名の方式は名前をつけた人たちの価値観をかいま見ることができるものと前提し、関連用語について解明した。挺身隊、慰安婦、日本軍「慰安婦」、従軍慰安婦、性奴隷に至るまで、最初は挺身隊として知られていたこの問題が、現在は日本軍「慰安婦」という名前を持つようになった歴史的、政治的な背景について追跡した。日本軍「慰安婦」問題が広く知られるようになったと思うが、実際にどのような問題であるかを説明するのに困った経験を持つ読者であれば、じっくりと読んでみる必要がある。ただし、挺身隊と日本軍「慰安婦」は区分して使用しなければならないと強調しながらも、挺対協が何故今も挺身隊という名前をそのまま使っているのか解明していないのは気になる部分である。
用語の問題に続いて、著者は日本軍「慰安婦」制度の設立目的、運営の主体に関する歴史的な実態について触れ、日本の責任をはっきりさせている。わかりやすく書かれた著者の文章は、この部分の難解さから歴史の理解に苦しんだ人々の役に立つことだろう。
ただし、事実確認が必要な部分がいくつかある。著者は「まだ20歳にもならない少女たち」が「慰安婦」の動員対象になったという事実を強調しているが(47頁)、これは「慰安婦」生存者の口述を通して明らかになった事実である。全体的には10代の後半から20代の前半に動員された場合が多く、10代の前半や30~40代の女性が動員された例もあった。朝鮮人女性に対する動員は、侵略主体の当事国である日本人女性と、中国、インドネシア、フィリピンなどの占領地の女性に対する動員とを共に述べてこそ、「慰安婦」の動員についての全体像を提供することができるだろう。
そして、「慰安婦」の設置過程についての正確な説明も必要である。著者は、1932年に上海派遣軍の日本軍陸軍将校が「慰安婦」の移送を要請したことが日本軍「慰安婦」制度の始まりであると説明しているが(50頁)、当該将校の回顧録を通して明らかになった事実は、上海地域の日本海軍を模倣して陸軍としては初めて「慰安婦団」を連れて来たという事実である(稲葉正夫編、『岡村寧次大将資料第一 戦場回想編』、原書房、1970、 302-303頁)。つまり、陸軍が設置する前に、日本海軍が上海に設置したものが最初の日本軍「慰安所」になる。また著者は、長期間の戦争による軍人たちの士気低下を防ぐために日本軍が慰安所を設置したと説明しているが、それよりは戦争が長期化し、戦場が拡大したことから、効率的な戦争の遂行という次元で日本軍「慰安婦」制度が本格化、体系化、組織化されたのだと説明する方が正確であろう。
日本軍「慰安婦」の強制動員をめぐる問題は、現在日本が積極的に政治争点化している部分である。消耗的な論争に振り回されることなくこの問題を正しく見つめるためには、日本軍「慰安婦」の動員と移送に関する日本政府および軍の公文書、近代国家の樹立以降戦争を通して拡張した帝国主義日本の性格、植民地に対する日本の差別政策と、それに伴う植民地・朝鮮社会の性格、そして「慰安婦」被害女性の記憶による口述記録を立体的に理解することが必要である。この本を通して、「慰安婦」被害女性の口述内容を中心に再構成された日本軍「慰安婦」の動員と、性奴隷としての生活の実態に接することができる。被害当事者の立場に立って、日本軍「慰安所」制度がどれだけ恐怖と暴力、苦痛でつづられているのかに共感できれば、政治的な利害を越え、被害女性に心から謝罪し賠償することが、この問題を解決するための出発点であることを理解できるはずである。
「慰安婦」被害女性当事者の声による解放後の経験という脈絡において、〈二度と戻れない故郷〉という部分の話は、私たちに示唆するところが大きい。戦争が終わり、慰安所を脱出した後にも、「慰安所と変わることのないどん底の4年間を送らなければならなかった」という話(76頁)や、「この社会は被害者を温かく包み込む準備ができていない」という(82頁)部分では、解放後の韓国社会に内在する家父長性と暴力性を想起させる。著者は日本軍「慰安婦」問題の解決とは、日本の責任を問うと共に、韓国社会の関係について反省する態度が必要であると痛切に指摘している。
その後の章、〈希望の灯をともした人々〉と〈金学順、世界で最も美しい告白〉は、家父長制と暴力の時間の中で強要された沈黙を破り、日本軍「慰安婦」問題の解決の歴史を書き綴っていった女性たちと参加者たちに関する話である。挺対協の結成過程と水曜デモ、「慰安婦」被害女性と共に過ごした挺対協の活動過程を見ることができる。
同じ時期に似たような年齢の女性たちが経験した苦痛に責任感を感じ、生涯のほとんどを捧げてこの問題を暴いてきた尹貞玉(ユン・ジョンオク)と、彼女の意志に力を添えた女性活動家たちの話、その結果、挺対協の誕生が可能となったという「挺対協誕生秘話」は、他人の苦痛に共感する女性たちの能力と実践力が、人権中心の「慰安婦」の歴史を書き綴る原動力となったことを語っている。特に注目して読むべき部分は、金学順(キム・ハクスン)、姜徳景(カン・ドッキョン)、ヤン・オヘルン、キル・ウォンオクなど、被害者から活動家として生まれ変わった「慰安婦」被害女性の話である。「慰安婦」被害を告白することが覚悟と勇気を要する状況の中、証言を通して被害女性たちの間で勇気と慰労を分かち合いながら、歴史的な真実と正義を叫ぶようになった「ハルモニ」たちの話の中から、彼女たちが作り出した日本軍「慰安婦」の歴史を受け継いでいかなければならない理由に出会うことができる。
〈まだ問題は終わっていない〉の章では、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の態度と対応の軌跡を概括的に述べている。これまで日本政府が示した最も最善の対処であったという「河野談話」と「女性のためのアジア平和国民基金(以下、国民基金)」についての著者の批判を読むことができる。日本政府による「河野談話」の否定が始まり、「河野談話」と「国民基金」に対する再評価の動きがある2014年現在、「慰安婦」被害女性たちが望む日本政府の責任とは何であるかについて考えさせられる。
〈戦争と女性、絶えず繰り返される悪縁〉の章は、また別の日本軍「慰安婦」たちの話である。著者は戦後の冷戦構造の中で、または絶え間ない人種と宗教の対立の中で続いている戦争と、それにより性暴力と死の苦痛を経験している女性たちの話を綴りながら、日本軍「慰安婦」問題は終わった歴史ではなく、苦痛を伴って繰り返されている歴史であることをはっきりとさせている。ベトナム戦争に参加した韓国軍により虐殺と性暴力を経験したベトナムの民間人たちの話は印象的である。日本の植民地被害者となりながらも、平和と人権問題について真剣に考えてこなかった韓国の権威主義的な時代に対する手痛い反省である。
〈私たちがつくっていくべき未来〉は、エピローグといえる章である。「人権と平和の世界のために」という副題が示すように、日本軍「慰安婦」問題の解決方向について語っている。日本軍「慰安婦」問題の解決を語りながら、どうして帝国主義と植民地、戦争と動員、民族や階級、女性差別、解放後の韓国社会の家父長性と暴力性まで言及しなければならないのか、何よりもこの問題解決のために人々が「共感」でつながることがどうして重要なのか、じっくりと考えることができるだろう。
この本の魅力は、人と人との間の疎通の地点をあちこちに配置しておいたという点である。最初に本を開くと、「ハルモニ」の姿をした「慰安婦」の被害女性たちが様々な表情をして読者を迎える。本文のところどころに見られる「慰安婦」被害女性たちの若い頃の写真は、私たちに「少女」と「ハルモニ」の姿として存在する「慰安婦」被害女性たちの人生をありのまま想像できるよう手助けしてくれる。ユン・ミヒャン代表の話しかけるような親しみのある文章は、「慰安婦」問題の解決のために集まった人たちの列に、抵抗なく参加したい気持ちにさせられる。「慰安婦」被害女性の在宅活動家と水曜デモ参加者が書いた参加記は、この本の白眉である。〈チャックン日誌〉と〈ハルモニに送る手紙〉などの文章を読んでいると、私たちが何故怒りと苦痛をしずめて「慰安婦」被害女性の人生を記憶しなければならないのか、もう一度決意させられる。

 
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