鬱陵島で暮らしている若者たちは大抵、生活の片隅で独島と密接な関係を結んでいる。筆者も20年以上独島とそのような縁を結んできている。20年以上前、鬱陵山岳会を母体にした「グリーンな鬱陵独島づくりの集まり」が構成され、木を背負って西島を登り、リュックいっぱいの土を担いで上り下りした。宕巾峰中間まで登り、太極旗のハーケンを打ち込んだりもした。また、東島のチョンジャン窟中間でゴミ収集や植生調査、慶尚北道指定保護樹木であるチョンジャン窟東尾根のマサキ現況調査のためのリッジクライミング(ridge climbing)をするなど、さまざまな形で独島と関わってきた。
そんな中、東北亜歴史財団の洪聖根博士から鬱陵島から見た独島可視日数調査をしてほしいという提案を受け、鬱陵山岳会の会員たちの支援の約束をとりつけて、2008年7月1日から2009年12月31日までの1年6ヶ月間、独島可視日数調査を行うことになった。
この期間中、公休日の場合は登山に行く会員たちが、独島を観測できた日にはきちんと電話で情報提供をしてくれた。低いところで観測されるケースが多かったが、700m以上では山霧が頻繁に発生したために観測できない日が多く、まれに山の頂上でだけ観測できるケースを確認できた。
筆者が独島可視日数調査を自信を持って進めることができた最大の理由は、自分が住んでいる場所から徒歩5分で独島を見ることができるという点である。また漠然と知っていた、鬱陵島から独島が年間50日程度観測されるという事実を、年間データで示してみたいという好奇心も大きく作用した。
1年6ヶ月の独島可視日数調査を終了し、その報告書をもとに様々な分野の専門家が科学的に分析し、その結果が一冊の本として出版されたことは、調査事業を現場で実行した責任者として感無量である。最初に数回にわたって東北亜歴史財団で洪聖根博士をはじめとする関係者と会い、どのような方法で課題を遂行するのか話し合った時の途方にくれた心情が思い出される。
長い間登山を通して学んだ山行きに関する知識、登山のために購入しておいた多くの装備、GPS、カメラ、そしてその間教育を受けたGPS活用法に関するプログラム、マルジャンドゥンでキャンプをして知った空軍部隊関係者、鬱陵山岳会保有装備、座標を地図で制作するのに協力してくださったコーロン登山学校のパク・スンギ読図法講師…….これらすべてがあればこそ、事業を遂行することができた。この間ご尽力いただいたすべての方々に感謝する。
1年6ヶ月にわたる独島可視日数調査中にあった、誰にも話してはいなかったことを思い出す。石浦に居住しているイ・ドクジュン先輩の助けを借りて先輩の家にCCTVカメラを設置した日は、酒を飲みすぎて家に帰ることもできなかった。残念ながらそのCCTVはその月の頻繁な落雷で、UPS(無停電電源装置)と接地棒を設置したにもかかわらず、過電圧に耐えられず独島を一度も撮ることができずに壊れてしまった。
そして970mのマルジャンドゥンのサイトに観測日誌を渡した日に引き止められて酒を飲んだこと、冷たい冬の風の道路が凍結した日に石浦を往復する雪道で車がスリップしてしまって動けなくなったせいで、苧洞まで歩いた日もあった。独島が見えそうだが見えず、一日に20回以上確認して最後に少し(約5分)の間だけ見ることができた日もあった。
KBS中継所から独島を見てから車で内水田展望台に行き、息を切らして一気に駆け上がったところ、上がった甲斐もなく、目を皿のようにして海霧がかかった水平線だけを見つめていた日もよくあった。天気は人の力でどうすることもできないが、その時の悔しさは到底言葉で言い表せない。
気象庁ホームページで雲分布図を見ては、アマチュアハム同好者と装備を用意して夜中に石浦展望台に移動、キャンプをして独島からの日の出を見ながら写真を撮って動画も撮影した。
無線機で地球の反対側のチリ・日本にいる人々と交信しながら、独島が見えると興奮したりもした。帰り道、夕暮れの鬱陵島西海岸で水平線の向こうに壮大な姿を見せてくれた雄大な白頭大幹の稜線を見た。時に独島に行く日には2時間を甲板で過ごし、東島を回って西島接岸施設が見える頃には鬱陵島本島が東島に隠れて見えないということを知った。毎朝目を覚ますと最初に水平線を見て、1年6ヶ月の時を過ごした。一般的に天気のよい日にだけ鬱陵島から独島が見えると知られているが、鬱陵島からは、曇りの日、雨の日、雪の日にも独島が観測されるという非常に興味深い事実がわかった。天気のよい日に独島が見えるのは自明の事実である。しかし不順な天気でも独島が見えるのは、海の天気にも少なからず影響を受けているようである。鬱陵島に雪が降ったのに独島が見えた日も、水平線の遠くの独島には透明な日差しが照りつけていた。
前述したように一日20回以上確認したのは、その日に暑い中でも比較的冷たい北風(鬱陵島では東風という)系列の風が吹いており、それまでの経験上こんな日に独島が見える可能性が高いことを知っていたからで、その日は自分の予感が間違っていなかったことを確認できた。冷たい大陸高気圧が南下すると、独島がより私たちに近づいてくることを証明した日であった。
今回の調査で成し遂げたもう一つの成果は、GPSを利用して独島の観測地点を韓国デジタル地形図に正確に記録したことである。その地点は、海抜500mを超える比較的高いところを除いては、最低133mからの観測となったが、これらの場所はすべて、昔から人が居住している地域であった。これらの地域には必ず家と生活の基盤である畑がある。畑で仕事を終えて家に戻ろうとすると、独島が見える。つまりすべての韓国人ではないが、少なくとも鬱陵島地域の人には、古くから生活の中に独島が存在していたということがわかる。
畑の草取りをしながら、道を歩きながら、山で山菜を摘みながら、独島を見てきたのである。それにも関わらず、なぜ日本人は鬱陵島から独島が見えないという詭弁を弄するのかわからない。私は1年6ヶ月の間、独島を見てきたのに。
これを書いている今日も、早朝から独島が一日中見えた。