• 東海の中の独島
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512年(新羅智証王13)に新羅の異斯夫が于山国を服属させたことから、鬱陵島と独島は三国時代からわが国の領土であった。独島は于山島、三峯島、子山島、可支島など様々な名称で呼ばれたが、独島という名称が登場したのは20世紀に入ってからである。
1883年に朝鮮政府が鬱陵島を本格的に開拓するようになってから、全羅道・慶尚道から多くの人々が鬱陵島へと渡った。彼らは石からなる独島のことを方言で「ドクソム」と呼んだ。「石」と「独」は韓国固有の言葉を漢字で表記する時に使用した文字である。「石」は「ドル」、「ドク」を表記するのに使用された訓借字(漢字の意味を表す訓を利用して表記した文字)であり、「独」は「ドク」を表記するのに利用した音借字(漢字の音を借りて表記した文字)である。1900年に公布された大韓帝国「勅令第41号」では、「独島」を訓借して「石島」と表記し、ロシア艦隊の動態を監視するための日本海軍の望楼を独島に設置するために予備探査を実施した日本の軍艦新高号の1904年9月25日の航海日誌に「韓人が独島と書く」と書かれた記録は音借字した表記である。この航海日誌は、現存する文献の中で「独島」の記録が初めて登場するものであるが、「勅令第41号」の記録と関連させてみると、「独島」という呼称は、既にそれ以前から一般化していたと見るべきであろう。

 
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