• 東海の中の独島
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独島を指し示す名称は、歴史的に様々なものがあった。概して于山島と呼ばれたが、朝鮮時代の成宗の代には独島を三峯島と呼びもし、粛宗の代の安龍福は子山島とも呼び、正宗 の代には島に嘉支魚(アシカ)が多く生息することから可支島と呼んだりもした。19世紀末に鬱陵島の開拓が本格的に行われ、陸地から多くの人々が鬱陵島へ渡り住むようになったが、彼らはほとんどが岩からなる独島のことを方言でドクソムと呼んだ。韓国固有の言葉である「ドル」、「ドク」を漢字表記する際、意味を活かした場合には石、音の通りに書く場合には独とした。そのため、ドルソム(石の島という意味)であるこの島を、漢字で石島または独島と表記するようになったのである。
日本の場合、1667年に日本の官吏である斎藤豊宣が隠岐島を視察した後に提出した『隠州視聴合紀』では、朝鮮の領土である独島を「松島」と呼んでいる。しかし、日本は1905年の閣議の決定後から独島のことを「竹島」と呼び、鬱陵島については「松島」と呼んだ。西洋では独島をリアンクール・ロックス(Liancourt Rocks)、オリヴツァ・メネライ、ホーネット島(Hornet Is.)と呼んだ。

 
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