• 東海の中の独島
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『三国史記』によると、512年(智証王13)に新羅の伊飡異斯夫が鬱陵島と独島で構成された于山国を討伐し、新羅に服属させた。これをもって、于山国は異斯夫の征伐以降、三国時代から新羅と高麗に朝貢を捧げてきた。
『高麗史』には、930年(太祖13)に于山国が白吉と土豆を遣わして土産物を捧げ、1018年(顕宗9)には于山国が東北女真族の侵略により農耕ができなくなると、中央から農機具を送り与えたという記録がある。毅宗11年(1157年)には、鬱陵島に陸地の住民を移住させるため、溟州道監倉殿中内給事の金柔立を派遣し、鬱陵島を詳しく調査したという記録が残っている。しかし、鬱陵島は住民が生活するには厳しい環境である上、高麗時代末には鬱陵島に倭寇の侵入が絶えなかったため、中央政府は鬱陵島に按撫使を派遣し、島を管理した。

 
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