1. 日本の古文献と古地図が証明する、韓国の独島領有権
17世紀~19世紀中頃まで、独島は日本では松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。日本における独島に関する最も古い記録は、『隠州視聴合紀』(1667)である。この文献は、出雲国(現在の島根県の一部)の管理人だった斎藤豊仙が、隠岐国の郡代として見聞きした内容を記したものである。この文献の中で、斎藤は鬱陵島を貿易船が向かう地と同じ島、すなわち異国の地と認識し、「村川(鬱陵島を往来した商人)氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島(=竹島、鬱陵島)へ致す」と記している。
『隠州視聴合紀』では「日本の乾地(=北西の地)、この州を限界とする(日本ノ乾地以此州為限矣)」と記し、隠岐国を日本の北西の限界とした。そして、江戸幕府は5回に渡って日本地図を作った。そのうち4回目までは各地方の地図を作らせ、その集大成として日本全図を作り、最後は伊能忠敬に対し、実測による日本地図を作るよう命令したのである。しかし、江戸幕府が作った5枚の官撰地図では、全て独島を日本の領土として表示していない。