独島は地理的に鬱陵島に近く、鬱陵島から肉眼で見ることができます。『世宗実録 』「地理志」(1454)には「鬱陵島と独島、二島は互いに距離が遠くなく、天気がよければ眺めることができる」と記録されています。このような歴史地理的な理由により、昔から鬱陵島の住民たちは独島を自然に鬱陵島の付属島として認識していました。
しかし、今まで鬱陵島から独島が見えることを証明する実証データは、数枚の写真や鬱陵島の住民の目撃談がすべてでした。これまで誰も長期的なモニタリングによる客観的なデータを確保してはいませんでした。
このため、当財団では2008年の独島研究所設立と前後して1年6ヶ月間、鬱陵島から独島を常時観測する「独島可視日数調査」を実施しました。この調査の結果をもとに「独島!鬱陵島からは見える」というタイトルの書籍を発刊することになりました。
この作業には、歴史学、国際法、気象学の三分野の研究者が参加し、独島が鬱陵島から見えるということが歴史的・国際法的・気象学的にどのような意味を持つかを分析しました。客観的データに基づいた学際的研究は、独島領有権に関する韓国の根拠論理をさらに抜かりなく、また、堅固なものにするはずです。
当財団は、独島と関連する研究調査及び教育広報など、多様な活動をしています。その中でも何よりも重要なのは、韓国だけではなく世界に通じる研究を行うということです。このためには、研究調査の客観性確保と、学際的研究の活性化が何より必要です。
このような認識の中で、本書の発刊が推進されたことは大変喜ばしく、また、本書発刊のためにご尽力いただいた関係者の皆様には本当に感謝の念が絶えません。最後に、本書が独島関連研究をさらに活性化し、独島が明らかに韓国の固有領土であることを広く知らしめるために有効に使用されることを祈っております。
「鬱陵島から独島が見えるか?」この問いはもはや無意味である。鬱陵島から独島が見えるのは紛れもない事実である。東北亜歴史財団(独島研究所)は、2008年7月から2009年12月までの1年6ヶ月間、鬱陵島から独島を観測し、その姿を撮影した。いわゆる「独島可視日数調査」事業である。
この調査結果を分析し「独島!鬱陵島からは見える」を出版するはこびとなった。歴史学、国際法、気象学の分野の研究者が鬱陵島から独島が見えるということが歴史的、国際法的そして気象学的にどのような意味を持つのかを検討した。本書は、総論及び本文3章と付録で構成されている。
第1章は総論で、東北亜歴史財団の洪聖根研究委員が、1年6ヶ月間独島可視日数調査を実施することになった背景と意味について記した。
第2章では、檀国大学校史学科文喆永教授が、鬱陵島から独島が見えるということについての歴史的意味を考察した。鬱陵島から独島が見えるという事実は、『世宗実録』 「地理志」や『鬱陵島事蹟』などの韓国の歴史文献に記録されており、独島可視日数調査という常時観測によっても実証された。独島は鬱陵島からは見えるが、日本から一番近い島根県隠岐の島からは見えない。これは歴史的に鬱陵島と独島が互いに可視距離内にある一つの生活空間として、本島と属島の関係として知覚されていたことを意味する。
第3章では、洪聖根研究員が鬱陵島から独島が見えるということが国際法的にどのような意味を持つのかを検討した。「肉眼で見える」ことと関連して、国際法上議論が可能なのは「発見(discovery)」と「地理的近接性(geographical contiguity)」であるが、これらは完全な領土権原として認められていない。しかし、鬱陵島から独島が見えるということには特別な意味がある。独島は、長い間無人の孤島として存在してきたが、鬱陵島住民が日常生活の中で独島を見ていたことや、鬱陵島と独島が対をなす島として韓国と日本の官撰文書等に記録されていることは、鬱陵島と独島が法律的・歴史的一体(unity)をなす島であることを意味する。
第4章では、気象庁国立気象研究所黄砂研究科の全映信課長と李孝貞研究員が、気象学的アプローチで、鬱陵島から独島が見える日の気象条件と特徴について分析した。分析の結果、1年のうち(2009年基準)毎月欠かさず独島が観測されたが、特徴的なのは独島が見える前後には雨や雪が降ることが多く、季節的には9月から11月の秋によく見られた。また、全映信課長と李孝貞研究員は、一般国民が独島をよく見ることができる日の気象の特徴から一歩進んで、独島が非常に素晴らしく見える日も提示している。11月初旬と2月初旬には「鬱陵島 - 独島 - 太陽」が一直線の黄金線上に並び、これを独島の黄金の日の出、いわゆる「独島グローリー(Dokdo glory)」と命名した。
付録には、独島可視日数調査の観測責任者である鬱陵島住民チェ・ヒチャンさんが1年6ヶ月間の独島常時観測を経験して感じた思いを記した。そして、最後に本書の執筆者たちが2010年7月28日から7月31日まで鬱陵島と独島を現地踏査した内容を、檀国大学校文喆永教授が紀行文の形で記した。
鬱陵島から独島が見えるという単純な事実をもって文章を書くのは困難な作業であることは間違いない。内容に面白みがなく、退屈しないかという懸念もあった。幸いにも、執筆者は大学教授、研究所の研究員、政府機関の職員など多様な専門的背景を持っており、研究分野も歴史学、国際法、気象学と多様である。執筆者が持つ多様な視点や意見を最大限に生かす一方で、鬱陵島から見た独島の様々な姿を写した写真も掲載した。また、専門家だけでなく一般読者も読みやすいように、内容や表現にも配慮した。
特筆したいのは、本書の内容は執筆者個人の研究成果であり、決して東北亜歴史財団(独島研究所)や政府機関(気象庁)の立場を代弁するものと解釈してはならないということだ。また、本書の内容が参考資料として活用されることもあるだろうが、「鬱陵島から独島が1年のうち数回見える 」、「このような気象条件のときによく見える」など独島観測に関連する一部内容を不動の原則として受け入れることにも注意しなければならない。1年6ヶ月という独島可視日数調査期間が、これらの事項を標準化するにはあまりに短いと考えられるからである。
一冊の本が出来上がるまで、多くの方々にご尽力いただいた。関連分野の先行研究者や原稿作成時にご助力いただいた皆様、そして撮影が困難な写真を提供してくださった皆様、その他様々な形でご協力いただいた皆様、すべての方のお名前を記録するには、スペースが足りない。この場を借りて、そのすべての方々に感謝申し上げたい。
最後に「日常生活を独島と向かい合わせで送っている鬱陵島住民にとって『鬱陵島から独島が見える 』ことはどんな意味を持つのか?」を惟る。鬱陵島住民にとって独島は単純に見えているもの以上に意味ある存在である。独島に対する継続的な認知と、これを土台にした領有意識、さらには遠く本土を離れて生きている人々の心の奥深くにある恋しさの「化身」、それがいつの間にか愛になってしまった存在ではないだろうか?この一冊の本に接する方々とも、その心を分かち合うことができれば幸いである。
2010年12月10日
執筆者を代表して洪聖根