• 東海の中の独島
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歴史的に見ると、東海というのは韓国人が2,000年以上使用してきた名称である。このような事実は『三国史記』や広開土大王陵碑の碑文(414年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)に収録された 「八道総図」、『輿地図』(18世紀末)に収録された 「我国総図」など多数の古文献と古地図から確認できる。19世紀末まで、日本は地図に東海の海域を朝鮮海、日本海などと表記し、西洋では中国海、満州海、東洋海、東海、韓国海、日本海、タタール海などと表記していた。しかし、19世紀後半から20世紀にかけての日本の帝国主義と植民主義により、国際社会では「東海(EastSea)」の代わりに「日本海(Sea of Japan)」という地名が一般的に通用している。
大韓民国政府は1991年に国連に加入した後、1992年に国連地名標準化会議(UNCSGN)で東海海域の地名を日本海と単独表記するのは不当であると主張した。国際社会は二国間で地名に関する紛争が発生した場合、解決に至るまでは地名を併記するよう勧告している。そこで韓国はEast Sea/Sea of Japanと併記することを主張しているが、日本は東海海域の地名として日本海の単独表記以外にいかなる地名も受け入れられないという立場をとっている。

 
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