万里の長城の築造範囲
- ▶ 秦の始皇帝の長城は大同江まで続いていた。
- ▶ 長城が、遼河までしか築造されていなかったのは中国の文献や遺物を通じて明らかである。
中国では、春秋戦国時代の混乱を統一した が造成した長城が北朝鮮の清川江、さらには大同江の河口にまで達していたと主張している。その結果、中国の歴史教科書や指導集には長城が大同江まで表示されている。
これは古朝鮮の歴史を中国史であるとする主張と軌を一にするもので、古朝鮮の領域範囲を縮小させる明白な歴史歪曲である。
秦の万里の長城に関する最も信頼すべき史料である には、秦の長城の東端が遼東にまで及んだとされている。そして『史記正義』には、「遼東郡は遼河の東方にあり、秦の始皇帝が長城を築いて東方の遼河にまで及んだ」とあり、長城が事実上、遼河を越えていなかったことを断言している。それに関して注目すべきことは、長城の遺跡が遼河西側の阜新地域までは明確に現れているが、遼河の東側からは発見されていないという点である。その上、燕と秦が築造した長城であると中国が主張している大寧江一帯の長城は、最近の調査により高麗時代のものであることが明らかとなった。したがって、朝鮮半島西北部地域にまで長城を表示した中国の教科書は修正されてしかるべきである。
「万里の長城」の延長問題
2012年6月5日、中国の国家文物局は、中国の「歴代長城)」の総距離が21,196.18kmであると発表した。「歴代長城」および長城関連の遺跡は、東は黒竜江省から西は新疆ウイグル自治区にまで分布しており、長城遺跡は城壁、塹壕、付属する建物、関堡および関連施設を含めて合計43,721ヶ所に達するという。この発表は「長城保護工程」事業から出た結果であり、中国の国家文物局と国家測量局が主管するものであった。
中国の長城発表が物議をかもした理由は、その調査結果がこれまで知られていた長城に対する認識からかけ離れていたためである。当初、ユネスコのホームページには中国の長城について、河北省の山海関から甘粛省の嘉峪関に至る総延長6,000kmの軍事的構造物であると定義されていた。この6,000kmというのは約1万里を上回るため、「万里の長城」という名で呼び習わされている。
ところが、中国の発表はこの長城の長さを約4万里にまで引き伸ばしたもので、従来の常識とは大きく異なる。そのためか、中国はこの長城に「万里の長城」という名の代わりに「歴代長城」という新たな名称をつけた。しかしこの「歴代長城」には、漢族以外に前近代の東北アジアで活躍したすべての民族が築いた城が含まれていたため、論争がさらに深まった。
特に韓国の場合、長い歳月に渡って満州を支配していた高句麗・渤海の幾多の城郭まで「歴代長城」に含められることで、韓民族の先祖が残した遺跡が中国の遺跡に成り変ってしまう状況におかれることになった。これまで明らかになったところでは、高句麗が築いた吉林省にある老辺崗土 長城や渤海が築造した黒竜江省にある牧丹江辺牆などが「歴代長城」に含められている。高句麗の「千里長城」は、間近に迫った唐の侵略に対抗するために築造されたと史書は伝えている。その高句麗の長城が、いつの間にか高句麗人が立ち向かった唐の長城へと成り変っている。このような中国の「歴代長城」が歴史的事実と遺跡固有の性格を無視したものであることは言うまでもない。
それなら、中国の「歴代長城」とはどのような背景から出たものなのだろうか。国家文物局の「歴代長城の総長」発表に引き続き、中国のメディアが「歴代長城」という名称の代わりに「万里の長城」に言及していることから、その意図をうかがうことができる。中国人の象徴でありかつ誇りでもある「万里の長城」のイメージを被せながら、「歴代長城」を中華民族の象徴にしようとする試みなのだ。また、「歴代長城」が広がる広大な北方地域が元々中国の領土だったという点を確認させようとする企みがあると見られる。つまり、世界文化遺産の「万里の長城」がいつの間にか「統一的多民族国家論」に符合する象徴物へと変貌しているのである。
「長城保護工程」は「東北工程」とはいえないが、「統一的多民族国家論」という歴史認識が反映された事業であることは明らかである。そのような意味で、「東北工程」は今も引き続き進められているといえるだろう。
長城保護工程(2005~2014)
中国各地において深刻な破壊が進む長城遺跡を保護し、その利用を規範化しようとする目的から、現在残っている長城に対する正確な調査と判定を試みる事業である。 と が主管している。しかしながらその目的が遺跡の保護に留まるものではないという点は、すでに2009年に「明の長城」の長さを新たに確定した前例から確認されている。遺跡保護という大義名分を掲げて「歴代長城」という名を前面に押し出しているが、長城を中華民族の象徴として活用しようとする意図であると把握されている。
統一的多民族国家論
中国は漢族と55の少数民族で構成された多民族国家である。漢族が絶対多数を占めているが、55の少数民族もその規模に関わりなく、戦略的要衝であり資源の宝庫でもある地域に幅広く暮しているため、中国政府の立場からは少数民族の分離的傾向を未然に封じることが課題となっている。そのため中国は、「統一的多民族国家論」という新たなイデオロギーを創り出した。現在中国内に存在するすべての民族が中華民族を構成しており、この中華民族は最近になってはじめて形成されたのではなく、はるか遠い先史時代から現在に至るまでの歴史的経験を通じて自然に形成されてきた実体であると主張する。