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  • 正しく知る独島(高校生用)

3.地図の中の独島

学習目標
韓国の古地図に描かれた鬱陵島と于山島について理解することができる。
日本の古地図に于山島が描かれていない場合と、描かれている場合の違いについて説明することができる。
 
思考を開く
韓国の古地図に初めて于山島(独島)が描かれたのは15世紀後半頃である。しかし、于山島が鬱陵島の西側に描かれており、実際の位置とは正反対に描かれている。古地図で位置の誤りが見られることについて、どのように理解すべきだろうか?
 

韓国で于山島(独島)を描いた最も古い地図

韓国の多くの古地図には于山島が描かれている。但し、朝鮮時代初期の地図には于山島の位置が不正確に描かれている。これは、東海に鬱陵島と于山島の二島があるという認識だけがあり、位置関係については正確に把握できなかったためだ。
「八道総図」(1481年)
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朝鮮時代初期の地図に于山島が最初に登場するのは、『新増東国輿地勝覧』(1531年)に添付された「八道総図」である。この地図は本来1481年に作られたもので、東海上に鬱陵島と于山島の二つの島だけが描かれているが、于山島が鬱陵島より小さく、鬱陵島の西側に描かれている。
位置が正確ではないものの、この地図に二つの島が描かれているということは、当時二つの島の存在をはっきりと認知していたことを物語っている。
朝鮮時代の初期には正確でなかった于山島(独島)の位置と形は、地理情報が正確性を帯びると正しく描かれるようになった。


「東国地図」(18世紀中期)
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「我国総図」(18世紀後半)
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「海左全図」(19世紀中期
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英祖時代に鄭尚驥が描いた「東国地図」は、于山島(独島)の位置を正確に描いているが、現存する地図はほとんどが鄭尚驥の「東国地図」の系統である。
続いて18世紀後半の『輿地図』に収録された「我国総図」にも于山島が描かれている。作者は未詳だが、華やかな色彩を使って海岸の島々まで詳しく表記し、独島が鬱陵島の東に「于山島(独島)」として「鬱陵島」よりも小さく描かれている。また、19世紀中期の「海左全図」も于山島を鬱陵島の東側に小さく描き、付属島嶼であることを表している。
このように18世紀以降、韓国の地図には全て、于山島が鬱陵島の東や南東、北東側に表示されており、独島の位置が徐々に正確になっていった。当時の地図は、ほとんどが官撰地図だと言えるが、鬱陵島と独島の位置、形、大きさなどを正確に反映したのは、国家の領土意識を示すものである。
活動 1
于山島(独島)が描かれた韓国の古地図を探してみよう。
 

日本の古地図に現れた独島

独島は韓国の領土であるため、韓国地図を模写した地図を除き、日本の古地図には、当然のごとく鬱陵島と独島は描かれていない。18世紀の日本の地図では、ほとんどが鬱陵島と独島を日本の領域の外として表示している。多くの地図が、鬱陵島と独島を朝鮮の近くに、朝鮮本土と同じ色で塗ることで、朝鮮の地であることを明らかにしている。

· 「改正日本輿地路程全図」(1779年)


「改正日本輿地路程全図」(竹島から)高麗(朝鮮)を眺めるのは、雲州(現在の島根県出雲(いづも))から隠州(現在の隠岐の島)を眺めるのと同じである。
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『隠州視聴合記』
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日本の長久保赤水が制作した地図で、「竹島(鬱陵島)」、「松島(独島)」の二島が朝鮮本土と共に色塗りされていない状態で描かれており、日本の領域の外にある島として示されている。また、日本の北西の境界を隠岐の島と記録した『隠州視聴合記』(1667年)の内容を二島の横にそのまま書き記し、朝鮮の領土であることを明らかにしている。

· 「三国接壌之図」(1785年)


「三国接壌之図」
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日本の林子平が著述した『三国通覧図説』の中にある5枚の付属地図の中の一枚である。この地図の東海部分に「竹島(竹嶋 : 鬱陵島)」と、その右側に名前のない島が朝鮮本土と同じ黄色で描かれており、二つの島の横に「朝鮮の持之(朝鮮のものである)」と明記されている。日本は緑色で塗られている。
活動 2
日本の古地図において、鬱陵島と独島が朝鮮本土と同じ色で塗られているということは何を意味するのか考えてみよう。
 

独島の描かれた西洋の地図

「朝鮮王国全図」
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中国に進出した宣教師をはじめ、西洋人たちも朝鮮の地図を制作した。西洋人が作った最初の朝鮮全図は、フランスの王室地理学者ダンヴィルが制作した「朝鮮王国全図」(1734年)である。この地図は、中国の「皇輿全覧図」をもとに制作され、鬱陵島を「ファンリン島(Fan-ling-tao)」、于山島を「チアンチャン島(Tchian-chan-tao)」と表記している。これは、鬱陵島を礬陵島と、于山島(独島)を「千山島」と誤って読み、これを中国式に発音したものである。しかし、二つの島を共に朝鮮の領土とみなしている。


「朝鮮全図」
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中国にいた朝鮮の金大建神父が作った「朝鮮全図」(1846年)を、中国にいたフランス人領事が書き写してフランスに持参したもので、東海に「Oulengto(鬱陵島)」、その右側に「Ousan(于山)」と表記し、独島の存在が西洋に知られるようになった。西洋人が制作した朝鮮の地図で、独島が「于山」という名称になっているのは、この地図が最初である。
活動 3
西洋の地図には、鬱陵島と独島の名称が次のように書かれている。これらの名称を鬱陵島と独島に当てはめ、韓国の地名で表記してみよう。
• ファンリン島(Fan-ling-tao) →
• チアンチャン島(Tchian-chan-tao) →
• Oulengto →
• Ousan →
 

 
隠州視聴合記
1667年に作成された隠岐の島に関する地理志。日本の文献の中で、独島に関して記録された最初の記録で、日本の北西の限界を隠岐の島と記録している。
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