十子分曹, 竟馳誠於越嶲.
十子分曹, 竟馳誠於越嶲.
後漢書曰: “窂山下有一夫一婦, 復生十子女. 哀窂夷九隆兄弟一人皆取以爲妻, 後漸相滋長. 種人皆刻畫주 001其身, 象龍文, 衣皆著尾. 九隆死, 代代주 002相繼, 乃分置小王, 往往邑居, 散在谿谷주 003. 絶域주 004荒外, 山川阻深주 005, 生人以來, 未嘗주 006交通中國. [建]武주 007二十三年, 其王賢栗遣兵, 擊附塞夷鹿茤, 人弱爲所禽獲. 於是震雷疾雨, 南風飄起주 008, 水爲逆流, 翻涌二百餘里, 哀窂之衆, 溺死者數千人. 賢栗復遣其六王, 將萬餘人攻鹿茤, 鹿茤王與戰, 殺其六王. 哀窂耆老共埋六王, 夜獸復出其尸而食之, 餘衆驚怖引去. 賢栗乃惶恐, 謂其耆老曰: ‘我曹入塞주 009, 自古有之. 今攻鹿茤, 輒被天誅, 中國其有聖帝乎. 天祐助之, 何其明也.’ 賢栗遂率種人, 詣주 010越嶲太守鄭鴻降, 求內屬. 光武封賢栗等爲君長.”
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