한나라가 남도(南道)와 함께 북도(北道)를 보호하여 도호(都護)를 설치함
至宣帝時, 遣衛司馬使護鄯善以西數國. 及破姑師, 未盡殄, 分以爲車師前後王及山北六國. 時漢獨護南道, 未能盡并北道也, 然匈奴不自安矣. 其後日逐王畔單于, 將衆來降, 護鄯善以西使者鄭吉迎之. 既至漢, 封日逐王爲歸德侯, 吉爲安遠侯. 是歲, 神爵三年也. 乃因使吉并護北道, 故號曰都護. 都護之起, 自吉置矣. 僮僕都尉由此罷, 匈奴益弱, 不得近西域. 於是徙屯田, 田於北胥鞬, 披莎車之地, 屯田校尉始屬都護. 都護督察烏孫·康居諸外國動靜, 有變以聞. 可安輯, 安輯주 001; 可擊, 擊之. 都護治烏壘城, 去陽關二千七百三十八里, 與渠犁田官相近, 土地肥饒, 於西域爲中, 故都護治焉.
색인어
- 이름
- 宣帝, 鄭吉, 歸德侯, 吉, 安遠侯, 吉
- 지명
- 鄯善, 姑師, 漢, 鄯善, 漢, 莎車, 烏孫, 康居, 烏壘城, 渠犁