예중만(澧中蠻)과 누중만(漊中蠻)이 조세와 부역에 불만을 품고 반란을 일으키자 이후 토벌함
順帝永和元年, 武陵太守上書, 以蠻夷率服, 可比漢人, 增其租賦. 議者皆以爲可. 尙書令虞詡獨奏曰: 「自古聖王不臣異俗, 非德不能及, 威不能加, 知其獸心貪婪, 難率以禮. 是故羇縻而綏撫之, 附則受而不逆, 叛則棄而不追. 先帝舊典, 貢稅多少, 所由來久矣. 今猥增之, 必有怨叛. 計其所得, 不償所費, 必有後悔.」 帝不從. 其冬澧中·漊中蠻果爭貢布非舊約, 遂殺鄕吏, 擧種反叛. 明年春, 蠻二주 001萬人圍充城, 八千人寇夷道. 遣武陵太守李進討破之, 斬首數百級, 餘皆降服. 進乃簡選良吏, 得其情和. 在郡九年, 梁太后臨朝, 下詔增進秩二千石, 賜錢二十萬. 桓帝元嘉元年秋, 武陵蠻詹山等四千餘人反叛, 拘執縣令, 屯結深山. 至永興元年, 太守應奉以恩信招誘, 皆悉降散.
색인어
- 이름
- 順帝, 虞詡, 李進, 梁太后, 桓帝, 應奉
- 지명
- 充城, 武陵, 詹山