군량의 조달과 인부를 독려하여 운송하게 진격하는 명나라 군대가 궁핍하지 않게 힘써달라는 송응창(宋應昌)이 조선국왕에게 보내는 자문(咨文)
31. 回咨
31. 回咨
欽差經略薊遼保定山東等處防海禦倭軍務兵部右侍郞 宋,
爲 俯諒微悰, 另加寬宥 事.
准 朝鮮國王 咨. 前事, 內稱.
小邦被賊殘破軍民潰散, 而況沿路一帶, 凋弊尤極. 目今王師電邁一刻爲急, 而糧草欠缺, 士馬俱飢, 致使兇醜餘黨假息日久. 今蒙該部切責, 當職慚懼交幷. 伏乞體皇上撫綏之仁, 念小邦殘弊之極, 特加寬容, 終始拯濟. 等因.
到部. 准此. 先據 委官都司張三畏 呈稱.
准國王咨, 開.
本國自義州至平壤一帶存儲, 糧料大小米共計四萬五千五百餘石, 可彀五萬軍兵, 四十餘日支用, 黃豆三萬五千五百六十餘石, 草八萬八千九十餘束 可彀三萬馬匹, 三十餘日喂養. 等因.
故我大兵, 以王京蒭糧已備, 倂力前進. 今幸一戰取平壤, 再戰就開城, 三戰碧蹄館又復斬級. 平安黃海京畿江原等道 中和黃州鳳山瑞興等郡縣悉還朝鮮. 正宜乘此兵威, 盡滅醜類, 而王國軍糧告匱, 中國糧料又轉運不前, 致使兵屯開城, 士多枵腹. 夫人生一日, 不再食則飢, 況被甲挽强之衆, 値此風霜氷雪, 欲使之冒白刃, 奮勇血戰, 以成戰功, 而使其腹不得飽馬不得騰, 倘軍心怨憤, 遂爾脫巾, 寧不悞大事耶. 故管糧艾主事, 身任度支, 覩此千里饋糧接濟不及, 是以, 爲此激切之語, 其情實有大不得已者. 今中國糧料現在搬運, 王國亦宜亟督人夫倂力轉輪, 務使三軍不致乏食, 庶克有濟. 爲此, 合行移咨, 査照施行. 須至咨者.
右咨朝鮮國王.
萬曆二十一年二月十七日.